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2005年6月11日 (土)

なんの為の田舎暮らし?

いろいろと意見は有ると思う。
ここでは、野生の生き物との付き合いに限定したい。

田舎暮らしを望みつつ、野生の生き物を過剰に忌避する人が居る。
例えば、野菜の苗を植えると猪が寄るとか、巣箱を賭けると鳥に畑を荒らされる、といった案配だ。
田舎暮らし・山暮らしに望む物は、人それぞれに異なるモのが有る事は判るが、共通する想いは「都会には無いもの」を求めているんじゃ無いかと思う。 では「都会に無くて田舎(山)に有る物」とは何か?「都会」の定義を”人間にとって都合の悪い物を排除した空間”もしくは”人間にとって都合の良いものだけを残した空間”とすれば、「田舎」とは「人間にとって都合のわるいもの」がうじゃうじゃと存在すると言う事になる。 前段で述べた田舎暮らしに対する希望が正しいと仮定するなら、「人間にとって都合が悪い」とされた者たちへの回帰の想いとも、言い換えられるのではなかろうか。 という事は、冒頭で述べた「野生を生き物を忌避する」人々が、田舎暮らしを望むのは自己矛盾しているのでは無いかと思うのである。

もっとも、知識や実体験が不足していて相手の正体が見極められない故の不安だとか、低俗なテレビ番組が垂れ流す、動物の行動の一面だけを取り上げた映像などで、誤った知識を刷り込まれていることもあるだろう。
家庭菜園が荒らされる事などは、本人が気づかないうちに「餌付け」してしまったケースも多い。だいたい山間部では、新緑が芽吹く前に作物の植え付けをすれば、それは即座に餌付けしたも同然と言う事だ。
つまり全て、人間の都合で物事を進めるから野生動物との衝突が起こるし、都合が悪いから排除する行動に繋がるわけだが、その結果が今の都市生活なのは明白だろう。

しかし人は自分の意思で行動や思考を変える事が出来る。私自身の例で言えば、昨年までは「アカマツなんて枝はポキポキ折れるし、松葉が屋根に積もって鬱陶しい。出来れば全て切ってしまえ」と思っていた。
しかし今年になって野鳥に興味を持つようになって、アカマツが野鳥の冬場の食料庫で有る事に気づいた。
となればやたらに排除するのではなく、老木は伐採しても若木は残し株の更新を謀ると考えが変わったのである。
この様に、何か一つでも動物に興味を持ち観察(という程大袈裟な物ではない)を続ければ、一見は無用に思えたものが、どこで役に立っているかも見えてくるのだ。
もし貴方が田舎暮らし・山暮らしで困っているのであれば、例えば菜園を荒らされたのであれば、「何故、ここの作物を食べたのだろう」と、動物の立場で考えて欲しい。
そうすれば必ず、共存の道が見えてくる筈だ。


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コメント

うんうん。その通りだね。
田舎暮らしって、いいも悪いも全てのあるがままの環境をひっくるめて、楽しむべきものだと思うよ。
それが都会にない自然の田舎暮らし。
もともと野生の生き物が住んでいるところへ、人間が勝手に入りこんできたことだし。
でも、ブヨだけは排除したいけどさ(^^;)

投稿: よしこ | 2005年6月14日 (火) 20時04分

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