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2008年12月29日 (月)

「ゲリラ豪雨」という表現

今年の夏に多発した、局地豪雨現象。愛知県岡崎市では、二名が亡くなったほか多数の家屋が床上・床下浸水の被害に遭い、神戸では小学生が増水した川で流され、東京では下水道で作業中だった作業員が、濁流に飲み込まれ、栃木県だったかでは水没した車両に閉じ込められて女性が亡くなった。

チーム森田の”天気で斬る!」で知ったのだが、読売新聞がこの「ゲリラ豪雨」という呼称について、表現が適当かどうかの論争が起こっていると報道したようだ。

正直、「ゲリラ豪雨」とマスゴミが安易に連発していた事を、苦々しく感じてはいたのだが、現状の気象観測・予報体勢では局所豪雨の予報・予想が困難な事を鑑みれば、冒頭に挙げた人的災害を防止する意味からも、ある程度の「言葉のインパクト”は必要だろうし、その意味では「ゲリラ豪雨」は現状では悪く無い表現だと思う。

しかし、記事中の気象庁天気相談所の菊池正所長は「戦争を連想させる言葉を政府の機関として使うわけにはいかない」という発言は如何なものか?と疑問に思う。対応を誤れば人命が失われると言う意味では、気象災害も戦争も同じではないのか?事実、岡崎の被害も、名古屋気象台が大雨・洪水警報を解除し、関係官庁が警戒態勢を解いた、二時間後から強まった雨で被害が出ている。水没した車両で亡くなったケースも、救助要請が、殺到する電話に埋もれた結果だし、まさに戦場ではないか。
なのに「戦争を連想する言葉」だからまかりならんってのは、単なる「言葉狩り」ではないのいか?

気象庁の意見でもまともな意見もあって、「”ゲリラ豪雨”という言葉の定義がなされていないから」と安易な使用を危惧しているのであろう意見であり、気象観測や予報というものは、学術研究にも用いられるものなので、その事は尤もな話し。ならば、局所豪雨を気象庁として公の定義はどうなっているかくらいは、示しても良いんじゃないかな。

話は替るけど、「ゲリラ豪雨」と呼ばれる、局所短時間豪雨が流行語大賞にノミネートされたのは、冒頭に挙げた被災状況をみても判るように、「自然災害からは、まま安全と信じ込んでいた都市部で、人的災害が相次いだ」からで、局所豪雨そのものは、さして珍しい現象ではないんだよね。そして、それを予測する事も、現代では個人レベルで予測するのは、難しく無い。十年前は気象レーダーのデータを入手するには、パソコンが必要だったけど、今は携帯電話があれば入手出来る。これに自分の五感を働かせれば、容易に察知できる。だから私自身には。「ゲリラ豪雨」という表現は不要だし、使う事も無いでしょうな。


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