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2010年4月30日 (金)

足助町道路元標

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足助町道路元標。県道363号線沿い。
道路の補修の所為か、”元標”以下が埋もれてしまっている、哀れな・・・


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最初は足助支所前か、足助八幡社の近くと考えていたが、写真奥に建つ三階建のビルの位置が、かつての「陣屋」跡と知って納得。それに県道363号線は、飯田街道跡をなぞっている路線。
飯田街道は写真手前から来て、豊田信用金庫足助支点前を、東に伸びて行く。


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2010年4月29日 (木)

山小屋通信(4/29)

本当はインプレッサのタイヤを、夏タイヤに換装する予定だったのに、山小屋へ日帰りで。妻が今週末(明後日だ!)に「鉢を移動させる」とのたまったからだ。それなら先週、帰宅時に入れ換えてくれば良かったのだが、「荷物が積めない」と訳判らん事を言い出してボツ。

しかし朝は予報通りに激しい雨で、09:00時頃まで降っていたかな。そこで直に出発すりゃぁいいものを、洗濯を始めたとかで停滞。それから先行させる花鉢の積み込みがあって、出発準備が整ったのが13:30時頃と、全くタイムスケジュールを考えていない時間となった。
まぁ、雨が上がってからは日差しで気温が上がり、乾いた風が気持ち良いドライブ日和であったが、山小屋着は15:30時と日没の遅いこの時期だから何とかなるという、際どい時間になった。作業してもMaxで2時間程度だから、チャリでコネタを仕入れに行くことも考えたが、さすがに里の春気分とは異なり、上着が無いと肌寒さを感じたので、先週の積み残しである「薪の積み替え」を片付ける。弐号棚に残っていた薪を全て、壱号棚に移しかえたが様子がちょっと変。ほんの僅か、恐らく一日分程度だと思われるが微妙に満杯には足らないじゃないか。う~ん、今年の薪の残り具合からすると、連休中に使い切ってしまうので、いくらかは補填させようと目論んでいたのだが・・・・
こうなると再来年分を早急に手配しないと、まずい状況になってしまうなぁ。連休中は形振り構わず、原木集めをするとして、どれだけ集まるか。シイタケ原木の搬出現場の残り物(主にシラカバ)に関して、話をつけたいところだ。


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2010年4月28日 (水)

連休だから

今年はカレンダー通りに休んでも、問答無用の五連休となる上に、五月六日・七日を有給にすれば九連休だ。まだ裁可は下りていないのだが、休暇の申請は六日・七日の九連休。多分、前半の五日までは山小屋近隣の別荘も賑やかになりそうなので、そこはチャリ乗りに当てて後半の四連休を作業に当てようかと算段している。

そこで「どこへチャリ乗りに出かけるか」が、重要な問題になってくるのだが、纏まった時間を割くのであれば、国道153号線旧道ネタとしては、「阿智村大野地区の”七曲り”」や「旧国鉄中津川線跡」はやりたいよな。特に後者は道路元標ネタも仕入れる事ができるし、体力が保てば一日で終る案件か。
「平谷村靱地区~治部坂峠」ネタは半日コースだけど、体力の点でちょっち不安が残るので、要検討事項としておこう。
なんて事を考えながら平谷村の地形図を見ていて気付いたんだけど、道の駅から柳橋までの区間は三州街道と国道は重なっていなかったんじゃないのか?
以前から何気に通っていたけど、柳川右岸の林道並の道はもしかして、三州街道だったのでは?国道153号線は村のど真ん中を突っ切っていて、現代の感覚からすると当たり前なんだけど、農業生産で自給自足していた時代なら、こんな贅沢な事は赦されなかったはず。街道といえど田畑に不適な山の端を通らされていたんじゃね?
これ、距離的にも体力的にも面白いかも。


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2010年4月27日 (火)

石野村道路元標

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豊田市力石町内、国道153号線沿い。
「石野村の元標が何故に、力石町に有るん?」
調べてみると、力石村が先に存在し、明治以後の町村合併で石野村が誕生したらしい。石野村の誕生はWikiによれば、1906年(明治39年)5月1日 となっており、それ以前には石下瀬村といったようだ。


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左右に伸びるのが国道153号線。左奥へと入って行くのが、飯田街道(三州街道)であった。
ちなみに川沿いの道を進んで行くと、名鉄足助線廃線跡に辿りつける。


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国道153号線 治部坂峠旧道(峠に眠る古の街道 後編)

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法面をへつって辿りついてみたが、何の変哲もない苔むした石だった。ま、そんなもんだよね、地形からしても旧道が存在したとして最低でも5mは上の位置になるんだもの。
苦笑いしつつ引き返そうと踵を返したその時、目に飛び込んで来た光景が・・・

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なっ・・・・・道か?
道の痕跡を思わせる平場が奥へと続いていた。しかし旧道では無いのは確かだ。なにせ平場の幅が狭すぎる。平場の幅は目測で3mあるかないかだし、路肩を補強する構造物が存在していない。
ここであれこれと考えを巡らしていても、埒が明かないのでこの平場を辿ってみよう。


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20m程進んだところで、空練り積みの石垣の痕跡があった。しかしこれまで見て来た旧道の石垣とは、雰囲気が異なる。一つ一つの石のサイズが小さいし、積み方もなんていうか「雑」なのだ。
この時点で平場は5m程を残して、山肌に消えている。空振りの予感を感じつつ周りを見渡すと・・・


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石垣っぽくないかい?でもちょっと雑な仕事にも感じられるけど、撤収するにも回り道になるじゃなし、ちょいと登ってみますか。

石垣の上まで登り辺りを見回すと、足元には

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「キタ-------!」って奴ですかね。旧建設省謹製の地境杭。
しかしお前、頭の真っ赤なペイント、生々しくないかや?

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地境杭から前方(平谷村方向)を見透かすと、木立の間に旧道の姿が見えて来た。こりゃぁ、「お宝はけ~ん!」かぁ?

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げっつ!

等高線に沿って緩やかに高度を稼ぐ、幅二間(3.6m)の明治に開鑿された街道由来の道。今では杣人か電力会社の保守要員以外は踏み込む事はない道でありながら、穏やかな道が延びている。
現道の着工時期を考慮すれば、人手が入らなくなって40年は過ぎているだろうが、その歳月に比して路盤は荒れていない。


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足元の落ち葉や枯れ枝の間から、アスファルトが顔を覗かせている。旧国道跡の証だ。

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笹薮に覆われて判り辛いが、写真右側には土留めの石垣がカーブを描いて続いている。現道へ進路をきっているのだ。


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カーブを曲がり切ると、前方に朽ちたガードレールがあった。だが、これも錆が少しういているだけで、40年以上も放置されているとは、俄には信じがたい。放置された年月からすれば、錆びて真っ赤になっていてもおかしく無いのに。


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現道の法面で断ち切られた終端から、対岸を望むとほんの30分程前に通って来た旧道の、ガードレールが木立を透かして見る事ができる。
国道153号線の母体となった「三州街道」が成立したのは、一説によれば平安時代にまで遡るという。信憑については浅学なので判らないのだが、南北朝時代に南朝の親王にまつわる伝説が多く残る地だから、原形をたどればそれくらいまで遡るであろう。以来、時代と共に改修を受けてきた古道だが、足元の道が表舞台に復帰する事は無い。そんな思いを強く抱かせる光景だった。


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踵を返し、古道の雰囲気を愉しみつつ復路に歩を進め、エントリーポイントまで戻って来ると目の前に、「長尾吉五郎の碑」入り口の電柱があった。やはり「掘割沿いの不自然な直線」は、現道の工事によって付け替えられた道であった事が、これで証明された訳だ。


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帰宅して国土地理院提供の空撮画像(昭和51年撮影)で確認してみたところ、今回の旧道区間がはっきりと写ってますなぁ。画像の中央やや左下の「つ」の字をひっくり返した跡が、今回たどった旧道区間。
最初に見つけた不自然な平場は、おそらく切り通しで出た土を捨てた跡かもですね。不自然な広場がくっきりと写ってるし。

んで、留めの一撃。妻を回収して山小屋へ戻る途中で・・・・・

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現道からまる見えやん!
(爆)

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2010年4月26日 (月)

国道153号線 治部坂峠旧道(峠に眠る古の街道 前編)

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同じネタを引っ張る事三週目。この立て看板を見るのも三回目となり、ちょっと食傷気味ではある。しかしながら「まつのや」の若女将あっこさんの
「甲州で右腕を切り落とされ流れてきたやくざ風の男。
左手一本で暴れまわっていた勝負師のお墓です。
手の不自由な人や願掛けにお参りすると御利益があるそうですよ。
私も1度お願いに行きました。」

とのコメントやご本人からの聞き取り調査も含めて、「見つけずにはおけない」とかつてのパスハンター(峠狩り師)の血が騒ぐ。ヾ(^^;)


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しかし、のっけからこれかよぉ~。ここらは標高1200m弱なので、まだ新緑には早いが梅雨時になれば、濃密な薮に覆われてそうな道じゃね?つぅ~か、杣道を分け入った先になんで、わざわざ碑(いしぶみ)を建立したんさ。
文句を言ってても始まらないので、装備を確認し手袋を装着して「状況開始!」


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モフモフと薮漕ぎを覚悟していたのに、看板から100m程で三体の碑を発見。これが「長尾吉五郎の碑」なのか?
でもなんか様子が違うぞ。

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一つめは観音碑っぽい。現状は杣道っぽいが、明治開鑿の旧道に対して徒歩交通の街道由来だとすれば、これは馬頭観音像と解釈するのが自然か。
まん中は「○峰行○」と掘られているが「○」部分は判読出来なかった。
そして三つ目は、判読不能。ただ最初の石仏を「馬頭観音像」と解釈するなら、こちらは「庚申碑」であろう。どちらも街道の往来を見守る守護神(「庚申」は里に外からの災厄が及ばない願も掛けられている)だから、徒歩交通時はこちらが街道だったのであろうか。しかしながら、地形をみるにこちらに「回り道」する合理的な理由が無いので、街道を改修する際に移転したものかもしれない。
国道旧道から続いて来た薮道も、この碑群までは明確だったのに、ここから先は痕跡すら残っていない。ここから先は辿って来た道以外は360度が笹薮に覆われている。

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先の三体の碑から薮漕ぎしたら、またもや碑出現。「水神」と「不動明王」と彫られている。おそらく「治山、治水」の願いを込められたものだろう。すぐ隣を流れる「峠川」は平谷村を流れる柳川の水源の一つであり、大雨の度に出水したと言われている。
ところで、本命の「長尾吉五郎の碑」はどこへいったんだ?


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杣道を行ったり来たり彷徨う事10分程。笹薮から何か見えたぞ

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笹薮を掻き分けて近づいてみるとこれが目指す、「長尾吉五郎の碑」であった。しかし何か新し過ぎくね?トタン囲いの祠紛いの掘っ立て小屋はともかく、碑はどうみても昭和もせいぜいが30年代建立の物ではんかろうか。
一般に個人の碑を建立するって事は、その地域になんらかの功績があった人物なはずなので、この辺りの経緯については村史などを紐解く必要があるだろう。

三週間に渡る「長尾吉五郎の碑」探しも無事に終り、ひとまず現道まで撤収!


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現道と旧道の合流点まで下って来た。個人的にはこっちの「石垣」の方が、重要物件である。この石垣が「路肩」だったのか「山側の土留め」だったのかで、旧道が通っていた位置が異なってくるからだ。
再度、手袋を嵌めウェストバッグの各ポケットの蓋が閉まっている事を確認して、状況開始!


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こんな笹薮を掻き分けて進む。まぁ進む距離が最大でも20mあるか無いかなので、体力の心配だけはせずに済むが、足元は殆ど見えんがねぇ。
とその時、1m程先の薮の隙間に見え隠れする一本のコンクリート製の杭が!

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げっつ!
(笑)

旧建設省(国土交通省)の道路地境杭である。これが石垣(路肩)からまっすぐ山へ向かって4m程のところにあると言うことは、ここから石垣を結んだ間に道路が存在するとう証だ。

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更に地境杭の傍らには、山側の土留めが叢に埋もれていた。
この二つの証拠物件を見つけた事で、今私が立っている場所が旧道跡なのだ。これで旧道が現道と別れを告げたとたん、短距離ではあるがらしくない勾配で高度を稼いでいた理由も説明が着く。現道は勾配を緩和するために、峠の鞍部を巨大な機械力にものを言わせて最大で20mほどを掘り下げているが、その影響がここでは1m程になったという訳だ。


懸案事項が片付き結果に満足しつつ、足取りも軽く現道を使って引き返す。先週はまだまだ身体が慣れないせいか、息が上がりまくっていたのに、今日はやたらに余裕がある。鼻歌を歌いながら治部坂橋の袂まで戻って来た時、道路を挟んだ反対側の木立に埋もれる、一つの石が映った。
なんらかの予兆があった訳ではない。ただ何となくだが「見過ごしちゃいけない」気がして、チャリを路肩に停めると、道路を渡り法面へと踏み込んで行ったのだった。


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2010年4月25日 (日)

山小屋通信(4/25)

朝方は冷えたが、今日も良い天気。風があると冷たく感じるが、日差しのおかげで暖かい。

作業は昨日の続きで、薪の積み替え。出来れば今日中に積み替えてしまいところだ。今日の作業分は昨年の夏前に入手したものが中心なので、手に持った時に感じる重さが、昨日のものとは大きく違う。これで今年の夏を越せば、今度の冬もしっかりと温めてくれることを予想される薪になっている。
しかし積み替えが進むにつれて、弐号棚がスカスカになってくると、なんとも心許ない気分になってくる。その理由は簡単で、参号棚がまだ半分も埋まっていないからだ。現状で半分を埋めるだけの在庫が有る事は判っているんだが、残り半分を埋めない限りはこの弐号棚に薪が積まれる事はない。そしてこの先、安定して原木が入手できる保証が無いゆえの不安が、心許なさの原因なのだ。やはり丸太を購入できる先を、早く見つけないといけないな。
ちょっと遠いけど、こちらなども見つけてはあるので、まったく当てが無い訳ではないのだが。

お昼を回りキッチンストーブへパンを買いに行く時間になったので、チャリをキューシキの荷台に積み込んで出発。治部坂峠の旧道を連続三週もフォローする事になるとは思いもしなかったが。(笑)
周一でせいぜいが4km程のチャリ乗りで、劇的な効果なんぞは期待するべくも無いと思っていたが、先週に比べて明らかに身体が軽い。平谷側からスノーシェルターを登っていても、先週ほど息が苦しく無い。標高が高い(1200m弱)上に登り勾配が5%程を15分ほど連続して登るので、運動強度としては最大心拍数付近に達していると思われ、それが錆付いていた心肺機能を一気に復活させたのかもしれない。
今日の旧道探訪は別エントリーで報告するけど、望外の結果が得られてツィッターで「お宝はけ~ん」と叫んじゃったよ。(笑)

キッチンストーブから帰って薪の積み替えを続行するが、腰に負担を掛けないように作業していたので、全てを移しかえる事なくタイムアップ。残り一時間程の作業量なんだけどねぇ。
最後にホダ場をチェックして、シイタケを収穫する。ほとんどは昨夕に収穫済みなのだが、それでも二つばかり見逃していたのがあった。
あと、ヤマガラが巣箱に来ていたので観察してみると、まだ嘴に何やら咥えている。どうやら獣毛らしく漸く「産座」つくりに入ったようだ。と言うことは来週あたりから「産卵」に入るって事かな。

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2010年4月24日 (土)

山小屋通信(4/24)

天気は良いが、風は冷たく感じる。
道中の景色は、冬枯れから新緑へと、初夏の装いを整えつつある。サクラ前線は概ね標高900mまで達した様で、山小屋までの残り100mが一週間後といったところか。

山小屋での作業は、薪の積み替え。壱号の残りを参号へ移し、弐号の薪を壱号へ。これが終わると今年の冬準備が半分終わる。残りの半分は11月末の雪仕舞だけどね。
積み替えは2/3程を残したところでタイムアップ。移し変えた薪は昨年の11月上旬に入手したものなので、生木も同然の状態。やっぱ二夏を越させないと良い薪にはならないな。

温泉にてジャンパーを紛失。最初は脱衣所に忘れて来たかと思ったが、ロッカーにも何も無い。フロントで尋ねてみるも、忘れ物の届けは無いとの返事。うにゃぁ~、どこいっただよ。


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2010年4月21日 (水)

国道153号線 治部坂峠旧道(番外 後編)

さて、心残りだった旧道跡を片付けたところで、もう一つの目的、「幕末の勝負師 長尾吉五郎之碑」を探しに、旧道峠区間平谷側入り口へと移動。
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前回では気付かなかった、旧い石垣を発見。現道からの高さは1m程か。これが谷側の石垣ならば、この上に旧道の路盤敷があるかもしれない。一面に繁茂した笹薮に少々の気後れを感じながらも、もふもふと潜り込み石垣の上へ。
結果から言えば道路の痕跡はなかった。しかし切り土した法面の上だという確証も得られなかった。一般論ではあるが、切り土で道を通した場合には山側の法面より上は、傾斜が急峻になる事が多い。もちろん尾根と尾根の間の谷部ではさほど急にはならない事もあるが、石垣の上での傾斜は不自然なくらいに緩かった。なんとなく降り積もった腐植と雨水が運んで来た土とが道路を覆い隠した様に、なだらかだったのだ。

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国道153号、治部坂峠旧道(後編)」に掲載した、平谷側旧道口の写真を確認してみると、石垣の一部が写っていた。「鳥獣保護区」を示す赤い標識の左側だ。赤い線は石垣の天端の延長線。
こうして見てみると、旧道と現道の分岐地点で大規模な土木工事が行われている事が判る。現在のコンクリート打ちされた法面の様子から、かなり尾根を削っている。やはり「街道由来の旧道」は、直角カーブに挟まれた谷筋をへつる区間だけなのかもしれない。


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はい、矢印が塗りつぶされた例の看板があるところまで来ました。ここから「治部坂橋」までの150m程を山側・谷側を丹念に探して行くが、痕跡すら見つけられない。路肩が崩落している場所もあったが、峠川に転落しているのは単なる岩ばかりで、碑らしきものは見当たらない。ここらで本日の帰還タイムが迫って来たのでこれ以上の捜索を諦めて帰路についた。


この後、「キッチンストーブ」さんで妻を回収し、山小屋への戻り道で「まつのや」さんへ煙草を買いに寄ったところ、女将のあっこさんからご主人に描いて貰ったもらったという、略地図をみせて頂いた。
それによると、「幕末の勝負師 長尾吉五郎之碑」は


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この薮道の奥!
なるほどね、看板の矢印が塗りつぶされていたのは、そういう訳(逆向き)だったのね。
と言う訳で、来週もこのネタで引っ張る事、決定!


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2010年4月20日 (火)

国道153号線 治部坂峠旧道(番外 前編)

時間が足りなくて先週は端折った旧道区間。短いながらももう一区間が残っているので、今週はそこと「幕末の勝負師 長尾吉五郎之碑」を探す事して、治部坂高原の駐車場を出発。前日の土曜日には関東平野でも積雪があったが、標高1200mの治部坂高原は言うに及ばず、900m程の平谷村でも雪化粧したと言う。峠付近では日陰には雪が融けずに残っていた。

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旧道入り口に到着。地図からは抹消されてしまった道だが、小さな沢が下る谷を旧道は山肌をへつって走っていた。
現道はこの谷を一本の橋で越えて行く。なので旧道の先行きはすぐそこに見えているんだけどね。
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入り口から10m程は落ち葉を主体とした腐植に覆われ、さらに山肌からの湧水の為に泥濘んでいる。スニーカーでの侵入はミスチョイスだったかも。勢いよく走ればマッドガードなどという気の利いた装備なぞ無い愛車故、背中から泥水を浴びる羽目になるのは目に見えている。バランスを崩して足付減点を食らわない様に、細心の注意を払って通過する。

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泥濘を突破すると乾いたフットパスへと変化する。日当たりが悪いと言う程でもないが、峠区間に比べると路盤への潅木の進出は薄い。
猿のフンも落ちていないので、その意味では気楽に走れる。

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現道から50m程の地点で、振り返って撮影。こうして見ると、薮化が進んでますな。ここらは新緑が萌え出すのは、例年だと五月中旬(今年は少し早いかも)なので、この程度で済んでいるとも言えるかも。夏場なら薮漕ぎを強いられるだろうね。

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路肩の陥没。峠区間に比べると湧水が多いので、霜柱で土台部分が侵食された物と思われる。
旧道となったのが1972~73(昭和47~48)年頃とすれば、メンテナンスされなくなって40年近い年月が経っているが、経過した年月からすればよく原形を留めていると思う。


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谷の最奥に到達。今回の区間での半分になる。
木立の向こうに、現道の橋と橋脚が透けて見える。この光景もあと一月も過ぎれば、新緑に覆い隠されて見れなくなるんだろう。
しかし現道の橋脚がえらい高くないか?それだけ、ここから始まる谷が険しい事を物語っており、ショートカットする術を持たなかった昔は、地形と喧嘩せずに距離が長くなる事を厭わず、山肌をへつったのだ。

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5m程の笹薮区間を突破したら、幅員の2/3程がごっそりと崩落していた。
地形的に流水に抉られる場所ではないので、冬季の冷え込みで路盤の土台が侵食された結果であろう。
こうなると、大雨が降る度に土台を侵食されるので、崩壊の速度は一気に上がる。道が分断されるのは、そう遠からぬ時期に訪れるであろう。

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今回のベストショット。
街道由来の古道の雰囲気を色濃く纏った道。
丁寧に組まれた山側の石垣と、柔かな日差しが織り成すコントラスト。正面の杉林が手入れされていれば言うこと無しなんだけど、旧道巡りをしていて一番嬉しいのが、こういう景色に行き当たった時だなぁ。
峠を越えた途端に一気に視界が広がる景色も好きだけど、こういう「人の営みと自然が折り合いを付けた」道の風景には、地味だけどそこで生活を営む息吹が感じられるのがいい。

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現道へ復帰。先刻の2古道”の雰囲気なんぞ、一切纏わぬ佇まいはちょっと興醒め。
ま、現用に供されていない道だから、それも仕方ないのかもしれない。


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現道へ復帰して、今辿って来た旧道区間を、一跨ぎしている橋を調べて驚いた。
この橋の名前はなんと「栄太橋」。旧「栄太橋」とは縁も縁も無い谷に掛っているじゃないか。
橋梁の「命名規則」なんてものがあるのかどうかは知らないが、旧橋に替る橋の名前には旧橋の名前が受け継がれる事が多い。
今回は旧「栄太橋」が掛っていた沢を現道は暗渠で跨いでおり、旧道が暗渠で跨いでいた沢を現道は橋梁で跨いでいる。この交錯が全く異なる水流を跨ぐ橋の名前を使いまわしたのであろうか?

まぁ、道路を通行する上では「ど~でも良い話し」なんだけどね。ただ「栄太橋」って人名が元になっている気がするんだよね。街道時代なのか明治の改良期なのかは判らないけど、橋の普請に功績があった人にちなんで名付けられているんじゃないのかなぁ・・・

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2010年4月19日 (月)

武節村道路元標

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豊田市武節町内。しかし生っ粋の名古屋人や、豊田市民には「稲武町」と言った方が通りがよいかも。
もっともWikiに掲載されている沿革をみると、「昭和15年 武節村・稲橋村が合併し、稲武町が発足」とあるから、平成17年の豊田市へ編入合併によって、元に戻ったとも言えるのか。


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武節町公民館前にひっそりと佇んでます。公民館前の道は国道153号線の旧道区間。
地図で確認すると旧稲武町役場(現豊田市役所稲武支所)は、ここから500m程東でそっちにあってもおかしく無いが、もしかするとこの公民館は武節村役場跡に建てられたものなのかもしれない。
ちなみに「稲橋村」にも道路元標が設置されたのだが、手持ちの地図で「稲橋村」の痕跡は、プロアトラスWでは大字として確認できるものの、かつての「村」を想像するのが難しい地域だ。


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2010年4月18日 (日)

山小屋通信(4/18)

予想通りに風も収まり、暖かい日差しが気持ち良い。玉切りの準備をしていたら、下のM田さんがやってきて、風倒木のアカマツが欲しければ持って行って良いと、持ち主の確認がとれたと知らせてくれた。有り難い事です。早速、キューシキで回収に向かう。ストーブでは火保ち優先なので、雑木(広葉樹)薪を焚くのだが、夏の夜とか晩秋時などの外作業での暖取りに重宝するので、頂けるものは例外なく頂く様にしている。しかし丸太の積み降ろしをしているだけで、汗が吹き出してくるよ。
アカマツの回収が終ったので、薪原木の玉切りを開始。最近になって切れ味が落ちてきているので、快調なエンジン音程にはサクサクと切れて行かないのが寂しい限り。原因は判ってるんだよ、ソーチェンがそろそろ交換時なんだ。左カッターはまだ大丈夫なんだが、右カッターが左の半分程と目立てに失敗しているのが原因。目立ての際になぜか右カッターの上刃が鋭角になる傾向があって、それを無理に修正したもんだから異様にチビちゃった。これに「まだ使える」との貧乏根性(笑)から使い続けているけど、それももう限界だしな。
在庫の丸太を処理したところで、「キッチンストーブ」へ行く時間となる。妻をキッチンストーブに降ろし、私は今週もチャリで旧道へ。チャリ遊びから戻ると治部坂高原の日帰り温泉「宿り木の湯」が4月1日から営業休止中との情報を頂く。公式サイトでは営業休止の案内は出ていない様だが、再開の目処は立っていないそうである。

山小屋へ戻り、薪割り不要サイズは薪棚へ収容してみると、在庫分を薪割りして積み込めば参号棚の半分は一杯になる事に確信が持てた。なんとか梅雨明けまでには残りの半分も埋めてしまいたいなぁ。一応、現在のところで目をつけている丸太の回収に成功すれば、1/3(棚全体の1/6)にはなると思われるので、残り2/3をどうするか。許可さえ取れればそれもクリアできる目処はあるんだけどね。


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2010年4月17日 (土)

山小屋通信(4/17)

昨夜のうちに移動したかったが、拒否権発動で日中移動。山小屋に着くとご近所さんから「今朝、雪が積もった」と聞かされるが、出発前にツウィッターやブログで確認済みだし、前夜の関東地方の様子からすれば、不思議でもなんでもないしね。04年の事だけどGWに雪が舞った事だってあるし。

シイタケのホダを確認すると、週中に気温が上がらなかった割には、良く育っていて今シーズンで一番の収穫。二つほど「ワラジ」になっていたが、まだ傘がしっかりしているから間に合ったってところか。
チェンソーを持ち出して原木の玉切りをしようかと準備を始めたら、S木さんが妻と世間話を始めてしまい、爆音を立てる訳にもいかず、今日は何も作業出来ず。
明日は風も収まって作業日和になりそうだってのに、冷蔵庫を買いに行くとか言ってる。


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国道153号、治部坂峠 現道編

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旧道巡りを終えて、治部坂スノーシェルター平谷側坑口まで戻って来た。シェルター手前には旧道の橋から任を受け継いだ機能一点張りな容姿の「治部坂橋」が、現代の物流を支えている。
中編」でも少し触れたが、この橋の竣工年は1972(昭和47)年1月。供用開始は現時点では不明であるが、国土地理院提供の1976(昭和51)年撮影の航空写真から現道が供用されている様子が伺える事から、竣工から然程の間を開けずに供用開始されたと考えられる。
おそらく峠前後の区間の様子から考えて、竣工後一年以内に供用開始されたのではないだろうか。と言うのも中央道恵那山トンネルが竣工し1975(昭和50)年8月には、中津川~飯田~駒ヶ根間が開通の予定であったが、恵那山トンネルが全長5000mを越える(現下り線8,489m)為に、危険物搭載車両は通行出来ず、そのバイパス道としての使命を帯びていたからだ。実際、先に紹介した航空写真を153号線に沿って見て行くと、阿智村浪合地区(旧浪合村)をバイパスする「浪合トンネル」がほぼ竣工している他、寒原峠の拡張も終っている事が読み取れるし、1984(昭和59)1月には寒原峠~大沢間の主要道路構造物が竣工し、供用開始に向けて急ピッチで工事が進められているのをこの目で確認している。


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”銘板”を探しに橋の下に潜り込んで見つけちまったよ。橋台からボロボロとコンクリートが剥離し、鉄筋が剥き出しになっている。この世に姿を現して40年弱。この間、ノーメンテナンスだった訳ではない。橋桁には補修工事の都度に取り付けられた銘板もあるし、橋台右側に写っているぶっ太いチェーンは、数年前に施された耐震工事で取り付けられたものだ。
大事に至る前に、補修が行われる事を期待したい。


国道153号線は私が全線走破を遂げた数少ない道路の一つだが、不思議と「走る度に発見がある」道で、どういう訳か「人生の転機」て奴に関わってくる道だ。旧街道の面影を遺す区間があり、それが新たな興味を喚起しどっぷりと「歴史」に嵌まる。
さて、次回は何処を走ろうかな。(と言いつつ、大ネタはG.Wだなぁ。一応9連休の申請は出してあるんで)

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2010年4月15日 (木)

国道153号、治部坂峠旧道(後編)

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スノーシェルターから道路の先行きに向き直れば、電柱の間を抜けて山へ入っていく道が存在していた。
道幅は2m程度と微妙な幅で、作業林道跡と思われる。突入するかと考えたが、出発からそろそろ30分が過ぎそろそろ引き返さないとまずいので今回はパス。


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電柱の影にこんなものが隠れていた。なになに
「幕末の勝負師 長尾吉五郎之碑」ですと?覚悟を決めて薮道に突っ込むかと覚悟を決めて、もう一度看板を見ると矢印の先が塗りつぶされている。痕跡から判断するに矢印は右側、すなわち今来た方向を指してた。
しかし碑が残っていた記憶は無いので見落としたのか?ざっと周辺を探してみたが見つからないので諦めた。
今になって考えてみれば、なんらかの理由で碑は撤去されたのであろう。それ故に矢印が塗りつぶされていたと思われる。しかし看板の色褪せ具合から判断するに、塗りつぶされたのはまだ最近の事の様だ。


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離合用の待避所跡。退避スペースは潅木に覆い尽くされている。そして道は一旦山側に緩くカーブしたあと、現道へ向かって駆け降りていく。


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現道との合流地点。こちら側も紅白のバリケードで閉鎖されている。現道の反対側には旧道と思しき路盤があるが、舗装が簡易舗装っぽいんぢゃね?ま、ものはついでって事で行ってみよう。

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道路を渡って振り返った光景。こうして見ると、現道へ出る最後の部分は工事による付け替え道路っぽいかも。
現道へ出る最後の部分で、勾配が急になってたし法面の施工も、昭和40年代っぽいかな。


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さして大きくもない尾根を掘割で抜ける。法面の施工もやっつけ仕事だし、この土工量は明らかに人力じゃない。
やっぱ、付け替え道路臭いなぁ。

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現道との合流点。峠側を望も光景である。左側に旧道跡の橋が見えるだろう。普段、クルマで通る時には見逃しがちなこの橋が、旧道の位置を案内してくれた。
橋の橋台に積まれた石垣の天端をずぃ~っと右に延長してみると、チャリを立て掛けたガードレールに続く道に接続するが、明らかに路盤の高さが合わない。右側の旧道と思しき路盤とは目測で1.5mから2mの違いがある。
これが何を意味するかと言うと、恐らく現道工事の際に大型作業車両の退避所として、旧道が利用されたと思われる。その際に現道と旧道の路盤を合わせる為に、掘り下げられたのではないか。そう考えると掘割部分のやっつけ仕事(法面の保護施工)が全く無かったのも合点が行く。


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さてさて、「そこに道(の跡)がある」からね、行かない訳には逝きますまい。ただ、現道との高度差をどうやって詰めるか?現道との接続点をうろうろとしたところ・・・・


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踏み跡みっけ!電力会社の「送電線点検路」の目印(黄色い標識)がある。
現道の通行が途切れる瞬間を待って、素早くチャリを担いで潜り込む。


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旧道路盤に立つとすぐに、先程現道から見えていた橋が迎えてくれた。
潅木の小枝が鬱陶しいけど、薮薮ではないので歩き易い。地面もフカフカした柔らかいフットパスだ。


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この橋の名前は「栄太橋」。この橋が跨ぐ沢の名前は銘板が破損していて不明。竣工は昭和34年12月と「治部坂橋」よりも四歳上。という事は、治部坂峠に至る一連の橋は、平谷側から施工されていったって事か。ただ骨材は平谷で調達するにもモルタルはどうやって搬入したのか、疑問が残る。

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「栄太橋」から30m程で、旧道は現道によって切断。現道から観察してみたけど、100m程に渡って旧道の幅だけ現道に埋没(切り取られて)していた。中途半端にみ未走破区間を残したくなかったが、既に予定時間を押していただけに今回はここまで。

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現道をひぃ~こら言いながら治部坂のスノーシェルターに到達。中の景色はこんなです。チャリで走ると同じ光景が延々と続くだけなので面白くないけど、クルマやバイクだと古の「タイムトンネル」(歳がバレるなぁ 笑)っぽくってね。
ちなみにこの「治部坂スノーシェルター」だが、銘板によれば2001年10月に竣工しているが、着工は1998年頃だったと思う。スキーに熱中していた頃に親友と一緒に治部坂スキー場を訪れた時には、路肩に工事中を思わせる物があった。その翌年に「あららぎ高原スキー場」がオープンしこれが確か98年の12月で、年明けに訪れた時に、シェルターの第一期工事が終ってシェルターの一部が出現していたのが印象に残っている。


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2010年4月13日 (火)

国道153号、治部坂峠旧道(中編)

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峠の切り通しを抜けて、直角カーブで終った前編。距離としては往路の半分を消化したところだ。そしてここからが街道由来と言う意味での「本当の旧道」と言うことになる。
それではカーブの先に進んでみましょう。


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冬枯れの薮と、紅白のバリケード
まぁ、予想通りの展開ではあります。夏場でなくて良かった。(笑)
踏み込む事を躊躇わせる光景だが、標高1200mのこの辺りでは、草が生長出来る期間が限られる為、基本的に日差しをたっぷりと浴びられる部分に限られるので、樹木が頭上を覆う位置まで突っ込めば、薮に悩まされる事はない。それよりも背丈辺りに枝を伸ばしている潅木の方が、視界を遮って鬱陶しいのだが、その盾も疎らなので侵入は楽。
それよりも気になるのは、足元に散乱するゴミ。まだ日に焼けていないペットボトル類も多く、誰がこんな所に来るんだ?コンビニ弁当の容器もあるが、花見には向かないと思うぞ。


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カーブから振り返って撮影。
一応ここまでは、潅木にボディを引っ掛かれる事を気にしなければ、クルマでも侵入して来れる。ただ転回場所はここしか無いのに、潅木が路面に進出しつつあって、軽トラでも転回には苦労させられる。
実際の路盤幅をみると、治部坂側は3mあるかないかだが、平谷側は3.5mは優にあるので、現役時代は治部坂側からの通り抜けの方が、楽だった事だろう。この事も「工事に伴う付け替え道路」という仮説を証明する有力な証拠じゃないか?

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薮を抜けて50m程で谷筋の最奥に到達。ここで道は二本の橋をもって。沢を渡っている。
地形と喧嘩しない素直なカーブを描いている。この辺りでは現道を通るクルマの音も途絶え、辺りを静寂が支配しているが、ウグイスを始め野鳥の囀りが、早春の杜に満ちている。足元はアスファルトの上に、腐植が堆積してフワフワの踏み心地が気持ち良い。とは言え、不法投棄されたゴミのは勘弁して欲しいよ。頭上を見上げてでもいない限り、視界にゴミが写るんだもん。


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大きい方の橋に残る親柱の銘板によれば、この沢の名前は「峠川」。どうみても「川」と言うほどの水量も大きさも無いけどね。
1/25000地形図にも「川」として描かれているのは、ここから標高で100mほど下った辺りまでなんだし。


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橋の名前は「治部坂橋」。峠間近の橋だから、峠から名前をとったんだろうね。
健在な三本の親柱から判明したのは、橋が跨ぐ沢の名前に橋の名前と読み。肝心の竣工日を示していた親柱は、定位置には見当たらない。


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未練がましく辺りを見回していて、やっと発見。銘板は色あせており、なんとか読み取れる程度だったが、この橋の竣工年は昭和37年3月。失礼ながらこんな山奥でありながら、昭和30年代に永久橋に掛け替えられていた辺りは、100番台国道の意地を見た気がする。うちの近所の橋が木造を卒業したのはこの十年後だったぞ。

100番台国道として地方の都市間物流を担うべく、コンクリート橋に掛け替えられたこの「治部坂橋」だが、国道の使命を担ったのは十年程と短命だった。ここから100mほど南側に現道の「治部坂橋」が竣工したのが昭和47(1972)年だった。
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「橋の竣工=供用開始」とは限らないし、新道が供用されても直に往来が無くなるものでも無いが、この橋を通るクルマが現役時代に激減した事は容易に想像できる。


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橋を後にして先に進む。山側の法面に積まれた石垣は、全く綻びを見せていない。新しく開鑿された道ほど、力づくな治山工事で道を守っているのとは対象な風景だ。
先の橋からこの辺りまで、猿の糞が散らばっている事を除けば、快適なフットパスになっている。この”気持ち良さ”はクセになりそうな気がする。


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目線の光景はこんな感じ。横へ伸びた枝がうざいと言えばうざいのだが、不愉快なうざったさは無い。枝を潜り抜ける動作が心を弾ませてくれる。
そんな楽しい気分に水を注すのが、路上に散らばる猿の糞。もう「ここは猿のトイレか!」ってくらいにあるのだけは嫌だ。


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現道との位置関係はこんな感じ。峠のスノーシェルター平谷側坑口を間近に望む。谷を迂回した500m程は現道の100m程って事だ。


本レポートは前編・後編のつもりだったけど、今回の区間は個人的にツボに嵌まってしまったので、中編として後編で現道のレポと今回も少し触れた道の変遷を後編に纏めたいと思う。

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国道153号、治部坂峠旧道(前編)

旧道ネタを書きたいと思いつつも、なかなか思う様に取材(ネタの仕入れ)が出来なかったのだが、二十数年振りにチャリを手に入れた事で、一発目のレポートは治部坂峠に残る、153号線旧道である。

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地図が見づらいのはまだ慣れていないからと、ご容赦頂きたい。
赤い線で示したのが、この記事で紹介する旧道区間である。等高線に沿った峠の鞍部越え区間なので、傾斜もさほどキツく無く、距離も往復で2km程度とチャリ現役復帰には手頃なコースと判断。
と言うか、ぶっちゃけ”妻を「キッチンストーブ」にほっぽって”おいても、なんとか往復出来る区間という事で決めただけである。(笑)
走るだけなら30分、フラフラと散歩気分で走っても1時間もあればって距離だ。


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起点はここ、治部坂高原の国道沿いにある駐車場から。実際には「キッチンストーブ」さんの店先にクルマを停めているのだが、まぁ同一の敷地内みたいなものだしね。
今日は朝方に雨が降ったものの、走り出す頃には時折青空も覗き、長袖では暑いくらいの陽気。写真を撮る事を考えると、グローブ無しでも走れるのでちょうど良いかな。今しも一台の大型バイクが駐車場から出て行ったが、陽気に誘われたかバイクもクルマも結構多い。


Cimg2283
駐車場口から400m程、旧道入り口とスノーシェルターに到着。このスノーシェルターについては後で詳しく触れるつもり。
それよりも旧道なんだけど、このスノーシェルターに沿った区間は、個人的には本来の旧道では無いとの思いを抱いている。と言うのも国道153号線の原形は、長野県塩尻市と愛知県岡崎市を結ぶ三信街道を明治の半ばに拡張した馬車道街道だ。となれば工事の全ては人力でなされた訳で、土工量を少しでも減らす工夫が成された筈で、400m近い切り通しを作るような事はしなかったはず。同様の理由で、機械力に任せて強引な工事をしている様に見える、近代の道路も可能な限り土工量を減らす工夫(予算ってものがあるからね)をしたはずで、峠越えの旧道は現道に飲み込まれたと思う。


Cimg2287
このあたりが旧道の頂点。眼下にスノーシェルターの外観を見下ろす事が出来る。現道をクルマで通過する内部の景色も独特だが、外観も独特で無機質な土木建築物が、得体の知れない「生物」に見えて来るから不思議だ。

Cimg2290
道行くクルマも絶えて久しいのに、今日も律義に警告を発し続ける標識。しかし随分と奇麗じゃないか?旧道となってからの年月を考えれば、真っ赤に錆ついていてもおかしくないのに。


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恥ずかしげに道端に佇む、速度警告標識。って、「安全速度10km」ってなんだよ、それって「徐行」標識で済むんじゃね?それとも「徐行」なんて生易しい規制では済まないのか?
ちなみに、補助標識の「この先○○m」は読み取れず。


Cimg2294
地形図を見てれば当然な「直角カーブ」の標識。昔はトンネルや橋の手前で、当たり前に掲示されていたんだけど、最近ではみないよな。ところで補助標識の「この先30m」ってなによ。(笑)
旧道区間に入ってここまで大凡400m程は、狭いながらも直線路。それなりに登り勾配ではあったし昔のクルマの性能がしょぼいつったて、残り30mってあなた。こんな控えめな警告じゃぁ、誰もききゃしませんがな。


Cimg2296
「30m先、直角カーブ」の標識の先に現れたのがこれ。1.5車線幅のままストンと直角に曲がってます。離合(すれ違い)用地なんて全くなし。全国に名を轟かせている酷道418号線ですら、ここまで酷い線形は無いとですよ。
もっともこの酷い直角カーブとこれまでの直線がある故に、「街道由来の旧道では無い」現道工事に伴う付け替え区間って考える訳。
他にも法面の工事の荒っぽさとか、巧く言葉にできないし写真でも表現できないんだけど、旧道独特の「艶っぽさ」が無いの。

一気に書き上げるつもりだったけど、息切れして来たので前後編に分けようと方針変換。
ってか、この直角カーブ(つうか、シケインだよこれ)を抜けると、道の雰囲気は別人となるのでね。廃道となった旧街道由来の道は、タフで艶っぽいのよ。


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2010年4月12日 (月)

橋の屍

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国道418号線から見える、落橋した橋の残骸。先週だったか、岐阜県境にある「福寿の清水」へ水を汲み行った帰りに見つけた。欄干が残っているから「橋」だと判ったが、そうでなきゃ今でも気付かなかったかもしれない。
しかしこの橋、いったい何処に掛っていた橋なのだろう。
この残骸と川を挟んだ此岸に橋が掛っており、常識的にはそこに掛っていたと考えるのが自然だが、となると両者の位置関係に疑問が残る。


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上流側から撮ったのがこれ。二枚の写真をパノラマに張り合わせているのだが、画面中央の右寄りに現道の橋が掛っているのが判るだろうか。落橋している方は現道の橋よりもやや、上流側に鎮座しているのだ。
それと現道との距離が推定で下をみても20mはある事や、欄干が片側だけと言えども破壊を免れている事も不自然。
もし現道の橋の前身だったとするなら、引っ繰り返る事なくこの位置までほぼ水平に飛ばされた事になるが、この橋が掛っていたと仮定した沢は、橋の部分が滑滝になっており大雨での出水でも、水平力よりも垂直力の方が大きくなる。本流に掛っていたのであれば、大きな水平力も受けようが滝状の沢ではちょっと考え難い。
もし仮に、ここまで橋を吹き飛ばすような大きな水平力が掛ったのであれば、橋を支える橋台にも大きな被害が出た筈だが、そのような形跡は見当たらない。
物言わぬ残骸は、今日も対岸から行き交うクルマを、見つめ続けるだけだ。


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2010年4月11日 (日)

山小屋通信(4/11)

”春眠、暁を覚えず”で起床は10:00時。いくらなんでも寝過ぎでないかい?ただ、昨日マッサージをして貰った時に、「ちゃんと眠れてますか」と言われたのが気にかかる。まぁ、睡眠は「量より質」な面もあるが。

伐採木の回収に行こうかと思ったが、田起こし等の農作業が始まったので、ちょっとペンディング。先週までに玉切りした丸太を割る事にする。
朝方には雨が降っていたようだが、冬季野戦服だとちと暑い陽気だ。気温も20度を越えているから、暑く感じるはずだわ。
薪割りを終えたタイミングで、「キッチンストーブ」へパンを買いに行く時間なので、キューシキ(軽トラ)の荷台にチャリを積み込む。妻とキューシキを駐車スペースに置いて、σ(^^)はチャリで旧道探訪へ。これはまた別記事にするけど、走った感想からすると、「なんとか保存できねぇかな?」と思わせるものだった。単純に「廃道」とするには勿体ない道。

パンの買い出しから帰って来て、薪の玉切りをしようかと準備し始めたら、お隣のN口さんからお声が掛る。ご夫婦揃ってトレッキングが趣味なのだが、今日は奥さんだけで畑仕事なのだが、話し相手に不足したのかえらい饒舌で。気付けば時計の針は(って、デジタルだから針は無いけど)16:00時を過ぎている。夕暮れも随分と遅くなっているから慌てる必要は無いが、冬の名残を色濃く残す山ではお天道さんが山の端に隠れれば、気温も急降下する。大急ぎでゴミを燃やし帰り支度をして撤収。


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2010年4月10日 (土)

山小屋通信(4/10)

昨夜は腰痛の兆しがあったので、夜駈けを中止して昼間の移動。10:00時までには出発したかったが、起床が10:00時ではねぇ。道中はお天気も良いし気温も上がった事もあって、結構な人出ではあったものの、道路はスムーズに流れていた。愛知・長野県境近くの豊田市大野瀬町の大安寺跡の枝垂桜を見物。このサクラ、何故か見頃を見逃す事が多い、因縁付のサクラなのだが今年は二週連荘で、満開の花を堪能。でも昨夜、夜駈けしてたら見れなかったんだよねぇ。

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山小屋に着いて、真っ先に確認したのはシイタケ。育ってますねぇ。

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育ってますよぉ~。
春シイタケ故に、湿度が少ない所為で、あまり大きくはならないけれど、その分だけ乾燥と成長を繰り返して、じっくりと育つ「天白雨子(てんぱくどんこ)」になってます。

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今日の収穫はこれだけ。今日の夕食を飾るには十分な量だけど、干し椎茸には全く足らないねぇ。
一応「春・秋に自然発生」する菌を使っているけど、その年の気候で随分と収量が変化する。今年の春は「豊作」といって良いレベルなんだけど(過去の実績比)。

夕飯の準備をして”道の駅 信州平谷”にある「ひまわりの湯」へ行くと、マッサージが再開されていた。リニューアル工事前とスタッフが異なっていたので、少々の躊躇いはあったが、利用してみてみたらこれがなかなか良い。今日は大して感じていなかったんだけど、施術を受けてみると腰を中心に相当に凝っていた事が実感した。それとお願いしたのは30分コースで腰を中心にお願いしたが、ラスト5分で「肩もかなり凝ってますが、どうしますか?」とリコメンドしてくれる。
料金は\1000/10分なので、お試しであれば20分を選択するのが良いかな。私の様に自覚症状があるのであれば30分を選択するのが良いかと。


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2010年4月 7日 (水)

冷えっ!

昨日のエントリで「暖かくなった」と書いたつうのに、今日は日差しはあったものの、冷たい風が吹き抜ける肌寒い一日ぢゃぁありませんか。
どうも高層の気流場でモンゴル辺りが停滞気味となり、そこから抜け出したジェット気流が沿海州付近で大きく南に蛇行しているらしく、暫く寒気が南下し易い状態が続くらしい。その所為か季節外れの「西高東低」の冬型気圧配置が現れ易くなってますなぁ。
こういう時は高気圧に覆われていても、上層に流れ込んだ寒気の影響で、曇りがちな上に目まぐるしく変る、不安定なお天気になりやすい。気象庁の中期予想をみると、二十日頃までは寒気が流れ込み易いようなので、西日本でも標高の高いところは、遅霜に要注意かな。

「記録的な暖冬」だの、「桜の開花新記録」だのと言っても、自然は必ずどこかで帳尻を合わせて来るので、我が家のタイア換装はやぱりG.W待ちだなぁ。キューシキは今のところ夏タイヤが無いので、往復する零式インプレッサのタイヤ換装は、29日が有力候補。


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2010年4月 6日 (火)

春ですなぁ

今月から社屋内が全面禁煙になったおかげで、昼休みには近所の公園まで一服タイムに出かける羽目になった。
でまぁ、昨日・今日と満開の桜を見ながらぷかぁ~とね。
昨日はまだ風に些かの冷たさが残っていあtが、今日は日差しもあってポカポカ陽気ですな。通勤もそろそろコートは不要かな。でも日中が暖かい分、日差しがなくなると寒く感じるから、今週一杯はコートがいるかな。

でまぁ、こんな陽気には自転車で走りたいなぁと、感じる訳で。体力がまだ残っていた三十代なら、自転車通勤という選択肢もあったし、今でも片道10kmくらいならなんとかなるが、30kmは通勤で走れる距離ぢゃない。JR名古屋駅までだと15km程かぁ、一時間くらいで走れるかなぁ。自転車にすれば帰りの通勤時間は結構、短縮できるかもしれない。まぁ、その為の自転車を買わねばならないので、当面は無理だけどね。先日買ったマウンテンですら、まだロクに乗ってないだろうが!<自分


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2010年4月 5日 (月)

走ってみたい道

クルマでも走れる道だし走ってもいるけど、ネタを拾うにはチャリの方が面白そうな道。

・国道153号線旧道、平谷村靱~治部坂峠
・国道153号線旧道、旧浪合村
・国道153号線旧道、阿智村大野地籍「七曲り線」
・国道153号線旧道、根羽村横畑~平谷村赤坂峠
・国道153号線旧道、旧稲武町大能瀬
・国道153号線旧道、旧稲武町夏焼~地蔵峠
・国道418号線、旧上矢作町達原~横道
・名鉄足助線、足助~西中金廃線と未成線


クルマじゃ走れない、所謂「点線国道」
・国道152号線、兵越峠
・国道152号線、青崩峠
・国道256号線、小川路峠

意外に面白そうな、都市近郊の国道変遷
・国道153号線、名古屋市~豊田市
・国道153号線旧道、飯田市~塩尻市

道路じゃないけど
・旧国鉄未成線、中津川線跡


こうやってリストアップしてみると、「便利で快適」な現道よりも旧街道等に惹かれているのが良く解るなぁ。まだまだ「走りたい道」はあるけれど、手近なところはこれくらいかな。


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2010年4月 4日 (日)

山小屋通信(4/4)

目を覚ますと窓の外には曇り空?高気圧の背面に入っているにしても、もうちょっと晴れても良いんじゃないか?そういえば昨日の昼頃、雪が舞ったというので寒気の影響が残っているのかも。風もちょっと冷たく感じる。

薪割りか玉切りでもと思ったのだが、これまで探索していなかった場所へ、薪狩りに行ってみる事にする。先々週の事もあるので、通常装備にロープを追加して出発。林道を山の中へずんずんと登って行くと、杉林の中にまだ埴菌したてのホダがあちこちに仮伏せしてある。うんうん、これは良い感じだぞ。シイタケやナメコの菌打ちが終っていると言うことは、そのおこぼれに在りつける可能性が高いと言うことだ。
九十九折りを抜けて山腹をトラバースする区間に入って暫くすると、予想通りに原木伐採現場跡に出くわした。あらかた搬出はされた様だが、斜面には伐採されたナラと思しき樹が残っている。こっちはチェンソーを持込まないと手出しできんが、路傍にもシラカバやヤマハンノキが残っているので、こちらは帰りに頂く事にして先へ進む。
春先の林道らしく霜柱で浮き上がった斜面からの落石が、あちこちに転がっているって事は、ここまではまだ誰も入って来ていないって事か?んな事はないよなぁ・・・と走っていると、支障木の処理現場発見。木口をチェックするとまだ新しいので、この春に片付けられたものだ。という事はこの先まで作業に入ったって事か。ここで時間を確認すると11:30時を回ったところ。ここと先程の場所で丸太を積み込んで下りれば、集落に下りるのはお昼時となり、集落の人影が薄くなる時間帯と好都合なので、今日の偵察はここまでとする。

手ごろな丸太を荷台に積み込んで、山小屋へ戻ったのは12:30時頃。回収して来た丸太をさっそく玉切りし、一部はシイタケ原木に回す。と言っても三本だけだけどな。今年は軸方向の間隔を疎にしたので、菌が余ってしまっているので勿体ないところなのでね。それでもまだ百駒近く残っているので、原木が手に入り次第、今月一杯は追加していくつもり。
いつもの様に「キッチンストーブ」へパンを買いに行きコーヒーブレイク。ここでWiFiについて相談されるものの、自分で使っていないインフラなので、推測でしか答えられないのがもどかしい。特に無線のデバイスは、設置されているロケーションで性能が左右されるものなので、問題の切り分けが繁雑になるんだよね。
山小屋への帰りに「まつのや」さんへ煙草を買いに行ったら、「自転車で来たぁ~?」と言われてしまった。確かに思わせぶりな記事が続いたからなぁ。妻がクルマの運転をもうちょっと厭わなければ、治部坂からのダウンヒルを愉しめるし、昨日も寄り道できたんだけどね。ま、来週は軽トラに積んで行くことになるかもです。


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2010年4月 3日 (土)

山小屋通信(4/3)

チャリを積んで、昼頃に出発。途中に走ってみたい道があるのだが、妻の拒否権発動でボツ。まぁ、出発が遅くなったってのもあるが。今年のG.Wは普通にしてても五連休だし、有給を一日とれば七連休になるから、そこら辺りで菱ってみれば良いか。

先週まではなんとか夕飯に投入出来る程度に採れていたシイタケも、今週は収穫出来るほどには育っていなかった。目切ってきてはいるので、湿度と気温が問題なんだろうな。特に湿度が足らない感じだ。
時間があるので、天日干しにしておいた薪を、薪棚に積み込んだ。おかげで参号棚1/2までの目安がついた。手持ちの原木在庫を片付ければ1/2を僅かだが越える量になる。薪狩りの範囲を広げれば、夏までには参号を一杯に出来るんじゃないかな。最悪でも来冬までには一杯にできるだろうが、そこまで押し込むと再来年の冬分が厳しくなるなぁ。


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シェイクダウン・テスト

Cimg2261
山小屋にて、チャリのシェイクダウン・テスト実施。
ここには未舗装から、ヒルクライム&ダウンのテストができる。ただフラットロードだけは無い。
敷地の中でBTR(バイシクル・トライアル)の真似事もしてみるが、カタログデータ以上に慣性質量が軽い。スタンディングの感覚はボロボロなんだけど、それでも”言うことを訊いてくれる”素性の良さはあるなぁ。

タイヤのパターンは想像通りに、抵抗が大きいけれどそえは気にししているから感じられる程度なので、当面はこのままですな。もっとも、小遣いに余裕が出来たら、オンロード用のホイールを調達するのは間違いないけれど。(笑)
ディスクブレーキに関しては、店員から「リムブレーキよりも、良く効きますよ」と言われたが、私の世代は自転車用ディスクブレーキの黎明期を体験しているだけに懐疑的であったけど、確かに効きは良いし微妙なコントロールも楽だ。

軽く2km程を流してみたけど、自転車がどうのと言うよりも自分の体力の方が大問題。まぁ、予想通りではあるけれど、登りで息が続かないんだもん。標高が高く酸素が薄い事もあるけどね。昨年の今頃にママチャリで片道15kmを走破してるんだから、酸素が薄い事にしておこう。(笑)


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2010年4月 1日 (木)

「半世紀の願い夢の橋 丸山バイパス一部開通」

”半世紀の願いがかなった-。八百津町と恵那市を結ぶ国道418号「丸山バイパス」のうち同町八百津-潮見の9・03キロが28日、開通した。5つある橋のうち、100メートルの高さの橋脚を持つ新旅足橋で渡り初めがあり、住民らに笑顔があふれた。

 同橋北詰めで行われた開通式典には、古田肇知事ら来賓や地元住民らが出席。赤塚新吾町長が「八百津町の夜明けとなった。近隣からも客を招き、町の活性化につながるよう頑張っていきたい」と喜びのあいさつ。テープカットやくす玉割りで開通を祝った。

 開通により同町中心部から潮見方面まで、細い山道を車で約40分かかっていたのが15分に短縮される。

 ひ孫を含め4代の9人家族で橋を渡った同町久田見の池井戸一枝さん(77)は「過疎地の中の明るいニュース。こんな良い機会に居合わせてとてもうれしい」と笑顔。一輪車で走った潮見小5年の林亜美さん(11)は「ゆっくり走るのが難しかったけれど、初めて通って気持ちが良かった」と話していた。

 (安藤恭子)”
中日新聞」岐阜県版より引用


何気に地元新聞社の記事をチェックしていて見つけた記事。「日本三大酷道」の一つ、長野県天竜村と福井県大野市えお結ぶ国道418号線。その「酷道」足らしめている恵那市笠置町~八百津町丸山ダム間のバイパス道路の一部が共用開始されたとのニュース。
もっとも地図を見る限り、そしてWEB上で公開されている酷道418線の現状(こちら三唱参照)を見る限り、本来はこの記事で取り上げられた険道県道を整備する為に、水没補償道路を国道指定させたものと想像出来る。
実はこの国道418号線、長野・岐阜・福井の三県をまたぐ路線であるが、その八割以上が岐阜県内のもので、福井県内の路線は国道157号線と完全重複区間であり、単独区間は岐阜県と長野県にしか存在しない。その長野県側は国土交通省の直轄指定区間となっており、国道153号線平谷交差点~国道151号線阿南町新野交差点間は、売木村内n一部を除いて二車線道路として整備されている。直轄指定区間外も山岳区間としては県道といて普通に整備されてもいる。「まつのやのつま」さんからお借りしている「下伊那土木振興会50年のあゆみ」誌によれば、国道指定の話は岐阜県側から持ち掛けられたとあり、岐阜県が中濃山間部の道路整備の為に、国道指定を受けたかったと言うのが真相のようである。

日本各地での道路の整備が進み始めた(主に土木工事技術の進歩が大きな理由)頃から、クルマを乗り回すようになった世代としては、不便な未整備道路でありながらも、歴史を刻んだ道が廃れて行くのは残念な思いもあるが、不便に堪え忍んで来た人々の生活が犠牲になる事はあってはならない事だと思う。少なくとも、こちらのレポートの様な、現地での生活を無視したレポートはどうかと首を傾げざるを得ない。ホンの30年前までは気象条件次第で100番台の国道でも、遭難の可能性が有る道路が存在した事を忘れてはならない。


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買い物孝

今日も懲りずに自転車ネタ。現役を離れて二十年は経っているので、マジに「浦島太郎状態」なもので。
チャリの購入店(大型量販店だが、趣味性の高いモデルも扱っている)で、ライトとボトル・ケージそしてキーロックも漁ってみたがピンと来る物が無かったので、自転車も扱うスポーツ用品量販店にも立ち寄ってみた。
立ち寄った店はホームセンターも併設されていて、週末の移動に向けて小物を物色する必要もあって立ち寄ったのであるが、スポーツ用品店でライトとボトル・ケージは気に入ったものが見つかったので購入。そしてホームセンターに場所を移したのであるが、意外にも自転車関係の小物の点数や価格は、ホームセンターの方が良いのにビックリ。
ライトなんぞはホームセンターの方が種類・価格ともに良かったりするし、キーロックは値段でホームセンターの方が勝ち。
さすがに専門性のある部品の扱いでは専門店に軍配が上がるが、汎用品に関してはホームセンターの方が価格が安い。そして意外にも扱い商品の多さにも驚かされた。昔はママチャリの部品くらいしか扱ってなかったのになぁ。<ホームセンター


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