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2010年5月31日 (月)

東栄チェンソーアート世界大会2010

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今年も行ってきました、東栄町の「東栄チェンソーアート世界大会2010」。
日本全国のみならず、海外からも腕に覚えのチェンソー・カーバーが集い、木屑を豪快に吹き上げながら、繊細な彫刻を刻み上げる。
例年でも50名は参戦する本大会だが、今年は記念すべき第十回大会という事で、総勢72名のエントリーを集めたという。

29日(土)は午前中は選手有志によるフリーカービングが行われ、お昼に開会式。12:30時にクイックカービング(競技)のスタートというタイムスケジュールなので、わりとのんびりと10:00時頃に会場へ到着したが、駐車場は7割方が埋まっており、会場はチェンソーの爆音に包まれているではないか。「もしかしてフリーカービングも競技に組み入れられたか?」と思ったが、フリーカービングから既にエンジン全開のエントラントの気合いの現われだったのだ。

逸る心を抑えつつ、まずは受け付けにてプログラムを貰う。そして会場内のブースをチェックして、昼食の当たりを付けておく。これをしておかないと昼飯を食べ損ねる嵌めに遭うんだよなぁ。

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こちらは「親子木工広場」。たっぷりと用意された木材を使って、自由に工作出来るので、親子連れに人気のブース。
材料だけでなく、道具も手工具から電動工具まで用意(今年はスライド丸ノコまであった)されているので、手ぶらで出かけても問題無し。でも、親子よりも「おじぃちゃんと孫」の方が多かった気がする。
ブースを冷やかしたり、フリーカービングを覗いたりと会場内を一巡した頃に、フリーカービング終了となり、一時の静寂が戻って来る。場内アナウンスで「木登り大会」開催のアナウンスと共に、高性能林業機械のデモンストレーションが案内されたので、我々はそっちへ。(笑)


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これが高性能林業機械「ハーベスター」。え?「バックホー(ユンボ)じゃないかって?
いえいえ、バックホーは「ハーベスター」の単なるプラットホームです。
説明員に隠れちゃっているけど、アームの先端に取り付けられたアタッチメントが、「ハーベスター」。一台で「伐採」「枝払い」「測尺して玉切り」「集材」の四役をこなす優れもの。

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はい、これが「ハーベスター」の全貌でございます。
まず立ち木を「送材用キャタピラ」で掴みます。そして「チェンソー」で伐採、キャタでギュワっと送ると、「枝払いカッター」が枝を落とすと、丸太を送って長さを計って(測尺)定められた長さに切り揃えます。
こういう機械って、林業に従事している人以外には、なかなか目にする機会が無いんだよね。過去に一度だけ王滝村で作業中のハーベスターを見たことがあるけど、じっくりとは見れなかったんだけど、今回は解説付な上に質問もし放題という大盤振る舞い(なんか違う)!

さてさて、本題の大会の方はというと、開会式もつつがなく終了して、選手も準備に余念なし。あちこちでチェンソーの暖気運転が始まり、競技開始の合図を待つばかり。
そしてMCチャーリーの観客を巻き込んだカウントダウンに合わせ、カーレースさながらにエンジンのブリッピングが木霊する。

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派手な「ソー・ダスト・シャワー」を吹き上げて、クイックカービングが始まった!
昨年のクイックカービング優賞の宇津選手。大鋸屑噴水はあまんまし派手じゃなかったす。


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個人的に一押しだった、「夫婦フクロウ」。最初は定番のベンチかと思ったけど、完全な”置物”系でした。フクロウも定番中の定番ですが、作品全体のレイアウトに凝らした工夫がナイス。


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この方、昨年は「ガメラ」を展示されていたけど、今年は「ゴジラ」。
ただ今年は値札が付いていたので、著作権的にはどうよと疑問だ。
作品といては「チェンソーでここまで彫れるのか!」と、チェンソーカービングの可能性を示している素晴らしい作品なのだが、”販売”するとなると著作権に引っ掛かってこないかねぇ。

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今大会中、ギャラリーに対する気配りNo.1はこのかた。クイックカービングで、観客用のイスとテーブルを用意されてました。
青森から参加の杉山選手。椅子に座ったギャラリーは、長時間滞在されてました。カービング会場には椅子がないからね。こういう工夫も必要かもよ<大会主催者


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強面からは連想し難い、”かわゆす”系作品を連発する、滋賀県から参加の尾本選手。
一昨年のクイックカービングの作品は、我が家と山小屋にあります。フクロウのプランター。
今回も”くまさんプランター”で勝負?

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チェンソーで女体を彫らせたら、この人!な、山形県から参加の栗田広行選手。
彫ってる時とそうでない時のギャップがね、なんとも魅力なナイスガイ。
今大会、東北から参加している選手は、なんていうか「写実的」作品を彫る傾向があったような気がする。


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うわぁ、選手の名前を忘れちゃってるよぉ~。
スギの赤身を見事に生かした作品なのにぃ~。
これ、材を選ぶ段階から勝負してる訳で、チェンソーカービングの原点を表現してる。こういう”繊細さ”を見せられると堪んないなぁ。


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”彫ってる姿”が美しいと感じたのが、こちらの太田貴之選手。派手な動きが無い、日舞の様な体裁きで独特のリズムで彫っているのが印象的。何時見ても”力任せ”な素振りが見えないのに、非力さを感じさせないというか、派手さは無いけど”力強さ”を感じさせる。

東栄の大会を観戦するのも四回め、今年はどちらかと言うと、作品よりは選手に注目した観戦となった。と言うのも、偶々なのか今回のクイックカービングは”置物”を彫る選手が多かったから。
いや、魅力ある作品も多かったんだけど、”置物”って結構邪魔者になり易いんよね。

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2010年5月30日 (日)

山小屋通信(5/30)

昨夕はお風呂へ出かけるタイミングで、大粒の雨がポツリポツリと落ちて来た。平谷では殆ど降って無かったけど、帰りは赤坂峠のあたりでは雨。そこから2kmほどの山小屋では上がっているという、山間部ならではのお天気。

今日も昨日と似た様な空模様で、力仕事をするには絶好ですな。まずはチェンソーをキューシキに積み込んで、ヤハズ峠へ向かう。GWに見つけておいた伐採跡地で除伐された雑木を回収する為。
現地に着いてちょっとした興味から、伐採地から更に奥へと伸びる道を辿ってみた。緩やかな東向き斜面に、2~3m程の樹が植わっている。丁度、新芽が展開中だったので確認してみたらクリであった。どうやら元はクリを栽培していた果樹園跡のようだ。ただ不思議なのは栗イガが一つも落ちていない事。ま、今年の秋に再訪してみれば答えは出るか。
果樹園を抜けると、耕作放棄されたと思しき畑地跡があり、一軒の廃屋があった。造りから見て住居ではなく、野良仕事用の休憩小屋っぽい。でも、炊事場もあって宿泊も可能(便所跡もある)だから、夏の間はここで暮らしていたのかもしれない。とまぁ、プチ探検はここまでとして、伐採跡地へ戻る。
しかし改めて確認してみると、一人で搬出できるのは余り多くはなさそうだなぁ。ぶっといサクラ(元玉で80cmは越える)があるけど、一人で動かす限度は概ね50cmくらいまで。この線で見て行くと、クリと思しきものが三本くらいかな?いや、その一本だけでも軽トラの荷台が一杯になるほどは有るんだけど。
一時間ほど玉切りして軽トラへ積み込み、山小屋へ戻る。「キッチンストーブ」へパンを買いにいき、戻って今度は林道奥の伐採現場跡へ。ここは午前と異なり「道端」という訳にはいかず、結構な斜面なので作業は捗らない。午前よりも長く1時間半ほどの作業で、収穫は1/3程。ただ、今日は手を付けずおいたが、大玉がちょっと工夫すれば回収できそうな所に転がっているので、こっちの目算を付けねばなるまい。
山小屋へ戻ると妻が収穫を見て、「一杯とれたじゃない」と呑気にのたまうので、「同じ作業時間で収穫は1/3じゃ」と言うと、「でも、去年よりも遥かに沢山、集めているんじゃん。薪に”呼ばれている”んだよ」だって。まぁ、そういう部分はあるかもしれんなぁ。午前に行った場所なんて、「道端の刈り跡がおかしい」と見に行った結果だし、先週の電力会社の支障木もそうだった。まだ未回収だけど、GWには大物を見つけているもんなぁ。

チェンソーの燃料が残っているので、集めて来た丸太を玉切りする。だいたい15~20cm程を片付けておいたので、半端な時間に割るには丁度よい玉が確保出来た。これを割れば参号棚も一杯になるだろう。
玉切りを終えてチェンソーのメンテ。掃除をしてカッターを目立てする。燃料の残りからするとガス欠寸前とまではいかないが、燃料の消費≒大鋸屑の汚れ量と仮定するなら、意外な程に汚れていなかった。ちびたカッターを使ってたハスク333はもっと汚れていたよなぁ。

チェンソーのメンテを終えて、ゴミを燃やして撤収準備完了。この頃にポツポツと雨粒が落ちて来たので、ラッキー。当初は日曜日の予報が悪くてやきもきしたが、終って見てればお天気も良く保ってくれたな。


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2010年5月29日 (土)

山小屋通信(5/29)

朝から積雲が湧いたり流れたり。カービング大会を見学するには、日差しがきつすぎずで丁度よいかも。

会場までの道中は結構、気温が低くて窓を開けて走っていると寒いくらい。会場も例年ならTシャツ姿での観戦なのだが、薄手の長袖を着ていて丁度良いくらいだった。
大会買いの様子は改めて。今年は十周年とあって、観客も多かった。

今日のメインであるクイックカービングまで見学して、会場を後にする。いや、入札したい作品が無かった(作品が良く無かった訳では無い)のと、妻の園芸作業が予定よりも遅れ気味と言うことで、山小屋へ戻って少しでも作業をという事に。

山小屋へ戻って、今年初の草刈り。もう一週待ちたいところだが、見苦しいところが出てきたため。草刈り中に開花しだしたちょっと変った花を見つけたので、それは刈らないでおく。ササユリも今年は四株が芽を出して来た。開花に至るのは実績のある一株だけだろうけど、少しずつ増えているのが嬉しいなぁ。
あと、タラの挿し木を三本定植。そういえば今年はタラの分けつが多い。理由は判らないが、株が熟成してきたのか、それとも春の気温変動の激しさのせいか。なんにせよ、枝が増えればそれだけタラノメの収穫量も増えるので、嬉しい事だ。


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2010年5月28日 (金)

山小屋通信(5/28)

山小屋着は2300時。動いてる分には寒くないが、こうやって携帯をいじっていると、火の気が恋しくなる。なので薪ストーブに点火、ぬくぬく。

周囲では、日当たりの良いところで、草が伸びてきている。日曜日はちょっと早いけど、今年初の草刈りかな。

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2010年5月27日 (木)

高速道路

通勤に高速道路を使っている。通常は東名阪を使っているのだが、今週からリフレッシュ工事が始まり、朝から大渋滞なので、工事が終るまで名神高速道路で代用している訳だ。
名神高速も昔は良く使っていたのだが、諸々の事情から十数年ぶりなのだが、走って見ると快適だねぇ。東名阪も先行開通していた名古屋西以西はともかく、名古屋~名古屋西は高架道路なので、幅員が狭く遮音壁に囲まれているので、視界が得られず窮屈な事に気がついた。
対して名神は濃尾平野の北部を貫いており、周辺もまだまだ未開発の田園地域なので、視界も広く道幅も広い。東名阪並に車線の幅員を抑えれば、三車線+路側帯にできるだけのポテンシャルはあるんぢゃね?
そしてこれが一番大きいのだが、濃尾平野を東西に抜ける自動車道が先に挙げた東名阪に加え、伊勢湾岸道も開通したおかげで分散し、朝の通勤時間帯での走行速度が回復している事だ。以前は小牧~一宮間は随分と我慢の運転を強いられたもんなぁ。
ただ、良い事ばかりでも無くて、自宅から直近のインターまで少し時間がかかるのと、東名阪と比べて10km程の遠まわりになる。あと本線上で事故でもおきれば、逃げ場(回避ルートの選択肢)が無いのもネック。
でも良く晴れた日には、名神の方が景色が楽しめるから、気分で使い分けてみようかな。


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2010年5月26日 (水)

国道153号線 谷間に消えた"中馬"の道(後編)

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ヘアピン状のカーブの内側に、打ち捨てられたが如きな佇まいを見せる、コンクリート橋。この位置だとドライバーからは上下線ともに見えない位置だ。座席位置の高い大型トラックなら、下り線からなんとか見えるかというところか。
何度通ったか判らない程なのに、気付かない訳だ。
対岸の橋の袂が駐車帯になっているので、そちらからアプローチする。


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親柱は四本とも健在であったが、惜しむは銘板は失われている。なんとか判読可能だったのはこれだけだが、竣工年すら判読不能だ。ただ残された部分から「和三十年十○」はなんとか読み取れる。
ちょっと不思議なのは、幅員が狭い事。治部坂橋や栄太橋は3mはあったのに、この橋は2.5m前後と狭い。竣工年からすると前二者と同時期の構造物であり、欄干に凝るくらいなら同規格で架橋しても良さそうなものだ。


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橋上から現道を臨む。
現道は橋では無く、ボックスカルパート(管渠)で沢を跨いでいる。1/25000図では水路が描かれていないがこの沢は、もう少し下流で「治部坂川」と名乗りを上げ、浪合地区より「和知野川」となって天竜川に至る。

橋の両端は、現道の築堤に飲み込まれており、そこに”道”の痕跡を見出す事は叶わなかった。
ただ、橋の軸線(中央線)を南へ延ばすと、これから走る予定の道へ突き当たる事は確認出来た。


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見つけた「橋」をフレームに入れようとしたけど、これが限界。だってねぇ、連休明けの週末なのに、ひっきりなしにクルマやバイクが通るんだもん。撮影ポイントなんて選んでいられません。
目指す”道”の入り口は、ガードレールの切れ目から。


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「妖怪ポスト」か?と思ったのは、中馬街道跡を示す道標だった。つまりは「三州街道」の名残だと言うこと。
ところでこの道標は、いやに新しくないかや?

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真新しい道標の向かいには、こんな「脅し文句」が設置されている。
「山林資源の採取の禁止」は理解できる。だが「歴史ある道」を辿るのは、「無断入山」と判定されるのか否や。
浪合支所に問い合わせようにも、今日は日曜日なんですけどね。念のために電話してみたけど、呼び出し音が空しく響くだけでした。


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「史跡 中馬街道」の碑。「脅し文句」で入山を拒んでおきながら、碑を建立する意図が良く判らないんですけど。
実際に辿った結果から言えば、「余所者には入って欲しく無い」道なんだろうけど、それならこの碑の建立費は税金の無駄使いって事になる。


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道は未舗装で幅は3m程か。ダブルトラックが刻まれており、少なくは無い通行量がある事を示している。
が、これが”中馬(三州)街道跡であったとすると、いくつかの疑問が湧いて来る。左側に写る擁壁は現場打ちのコンクリート製。苔むしていて旧そうではあるが、道路構造物としてコンクリートの現場打ちが一般化したのは戦後のことだという。また、道路の舗装が始まったのが昭和三十年前後からという事を考えると、路面が未舗装である事ととの整合がとれていないのではなかろうか。
また現に於てこの区間(治部坂)の整備が始まったのは昭和45年頃からで、ピークは48年頃になる。当然の事ながら工事現場へは大型車がひっきりなしに通る訳で、未舗装のままではその通行に耐えられないと思うのである。


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道は橋を渡り、沢の左岸へと移る。
橋自体はや農道で見かける、簡易なコンクロート桁橋で親柱や欄干等の装飾は一切無し。
この手の様式は割と新しいもので、工場で桁を作って現場へ運び込み、橋台に据えるだけと、現場打ちに比べて工期を飛躍的に短縮する事が出来る。想像するにここにも本来は前出の橋と同様に、昭和30年前後に橋が架けられたが、なんらかの原因(それは主に豪雨等の自然災害)で流失してしまい、その時期が現道の工事期間中でもあった為に、仮設道路が用意されて街道跡は廃道となった。しかしながら近年になって、観光資源として整備し直されたのではなかろうか。
こうなると前出の廃橋を丹念に調べてこなかった事が悔やまれる。橋の路盤がコンクリートかアスファルトかで、変遷の様子が推定し易くなるはずだから。


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上の撮影ポイント左側には、馬頭観音碑が一基だけポツンと建っている。
石に刻まれた文字も判読可能なことから、新しっぽいなぁ。表面の劣化度合も、入り口に有った史跡碑と良く似ているんですけど。

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橋を渡ると勾配を増して、高度を稼ぎはじめる。
いくらか、轍跡が薄くなっている様に思うのは、気のせいなのか?
でも、「古街道」っぽくて好きだよ、こういう雰囲気。


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坂を登りつめると、丁字に突き当たった。右へ行くか左へ行くかで迷うところだが、迷う必要などない。
左に行けば民家の玄関先を掠めて現道へ復帰し、右に行けばやはり民家に突き当たっての行き止まりである。
そして行方を遮るのは、現道の築堤だ。
そして往路でエントリーポイントを見つけられなかった理由も判った。要は「民家への進入路(≒私道)」としか見えなかったからだ。なので場所を特定できる写真はボツ。

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現道へ戻り、スキー場の駐車場入り口前で思案。
法面の様子を観察しても、旧道跡を利用している様には見えないのだが、左フレームアウトに治部坂川が流れている。往路でここは確認しているのだが、橋が架かっていた痕跡はナッシング。
しかしこの駐車場への誘導路を延長すると、辿って来た道に無理なく繋がるんだよね。そして地形から考えても、ここから治部坂川沿いに下って行く方が、徒歩交通が主体であれば無理の無い線形である事も事実。
それにしても、橋や法面という道路構造物の形式に、一貫性の無い道というのも珍しい存在だ。


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2010年5月24日 (月)

国道153号線 谷間に消えた"中馬"の道

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治部坂高原周辺で、旧道の痕跡を探しながら地図を眺めていて気付いたのが、今回の道。
治部坂高原の飯田側に国道が大きくS字を描いているが、このS字カーブをショートカットする自動車道が描かれている。昭和51年に撮影された航空写真に写っている、旧道の痕跡と思しき道跡も、ちょうどこの辺りで現道と交叉している様に見える。
ただ、記憶の中に道があったかの覚えが無いのだ。辛うじてS字との交点に「それらしき痕跡があったかも」という程度。距離としても治部坂高原の駐車場から往復2km程だから手頃な距離でもあり、チャリで出かけてみる事にした。

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いつもの様に「キッチンストーブ」に妻を置いてスタート。国道から治部坂観光センターへのアプローチから、行く手を見渡す。
スキー場の拡張工事で、大規模に地形改変されているので、旧道痕跡は無理っぽいなぁ。
この「治部坂高原スキー場」は、現在は国道端がゲレンデ最下端となっているが、1980年代のスキーバブルの際にゲレンデ下部を現在の様に拡張したもので、もともとは上部1/3で営業していたこじんまりとしたスキー場だった。
意外と知られていないのだが、ここは「スキー場全面を人工降雪機による営業」を、全国でも初めて行ったスキー場でもある。人工降雪機の導入は志賀高原の横手山だったかが初めてのはずだが、それはあくまでも雪付の悪い急斜面での補完を目的としたものであり、スキー場全面をカバーする訳ではなかった。
とは言え、営業開始時ではリフトは一本きりなので、「全面」といったところで大した広さでは無かったのではあるが、ろくな公共交通機関の無い山の中で、スキー場を開発した行動力・企画力には目を見張るものがある。ちなみに私が初めてこのスキー場に訪れたのは、高校生の頃なので今から30年前の話し。更に小学生高学年~中学まで購読していた「子供の科学」誌に紹介されていたので、少なくとも30年以上の歴史を持つスキー場である。


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閉鎖されたホテル跡。ここもスキーバブルを当て込んで営業を始めたものの、バブルが弾けて利用客が落ち込み、廃業に追い込まれた。それでも1990年代半ばまでは、スキーシーズンには家族連れで賑わっていたのだが。当時は周辺の日帰り温泉施設が、年末・年始に営業しなかったので、ここのお風呂を利用したものである。
ちなみに寒原峠近くにも温泉ホテルがあるが、そちらは年末・年始中は日帰り入浴はお断りな上に、入浴料も高かったので、我々の間ではメチャメチャ評判が悪かったのだが、今でも営業を続けている。

ところで、地図上ではこの辺りがエントリーポイントのはずだが、周辺を探しても道らしきものは無い。あっても民家への進入路しかみつからないのだ。【現在位置】

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逆方向から辿れば良いからと前進。「S字カーブまで200m」の警告標識が現われると、道は勾配を増しながら軽く右へ振った後に、左直角コーナー→S字とテクニカルな展開を見せる。二輪なら車線幅でもコース取の自由度は高いが、四輪ではエイペックスを深めにとらないとカーブ出口で減速を強いられるんだよね。前に”蓋”がいなければ、コーナーワークが愉しめる線形ですな。(笑)
しかし左端に写っている「悪の帝国一味」の看板は目障りだな。

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直角カーブを抜けてS字の最初の立ち上がり。チャリの機動性を使って、反対車線からの眺め。
こうやって見ると判るが、張り出した尾根を切り通しにしているので、かなりの土工量になる。これを開鑿したのは昭和30年代以後の、機械力を当てに出来るようになってからでは無いだろうか。となると治部坂峠で切り通しを開鑿した時期とほぼ同じ頃に出来た道ではないかと、疑問が湧いて来る。

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ダウンヒルを愉しみながら下って来た。目指す道のエントリーポイントまであと僅かってところで飛び込んで来たのは何?
なんか萌え出した若葉に隠れているつもりっぽいけど、それって「欄干」って奴ではないですか?
ってか、こんな処に「」があるなんて、これまで全く気付かなかったんですけど?


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2010年5月23日 (日)

山小屋通信(5/23)

目を覚ませば、予報通りに雨。ここ二ヶ月程は週末に降ることは無かったので、お天気の周期が変わってきたのかもしれない。梅雨入りまでは何かと忙しいので、降って欲しくはなかったんだが。草刈りをするにもまだちょっと早くて、雑草が伸びてきてないんだよねぇ。

水タンク(妻の園芸用雨水タンク)に浸けておいた、タラの差穂を確認したら、発根して来ている。雨が降り出す前なら定植してやりたいところだ。近所のA井さんが雨の中で、何やら苗木を植えているので「いります?」と声をかけたら「下さい」と即答。(笑)
六本あったうちの半分を差し上げた。

雨は時折、小降りにはなるものの、合羽を着用してまでの作業は無いし、「キッチンストーブ」さんへ行く時間になるまで、暇をもて余す。
で、本日はなぁ~んも作業せずに、早めに撤収。


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2010年5月22日 (土)

山小屋通信(5/22)

午前中にタイヤ交換を済ませる予定だったが、思い切って昨夜のうちに済ませたので、お昼までには出発できた。
目を覚ましたのが10:00時過ぎだったので、それから交換しとったら何時になったやら。

国道153号線は、珍しく通行量が多い。途中のゴルフ場でレディスの試合が行われていた様だが、足助を過ぎても混雑&道路の蓋のおかげで、稲武町まではかなりイライラさせられた。

山小屋に着いて、薪の整理。薪狩りに行く手もあったが、薪棚を整理しないとスムーズな積み込みが出来ない。
焚付け棚に放り込んであった羽目板の端材のうち、長尺物(40cm以上のもの)は山小屋の床下へ移動。短尺物は焚付け棚に二列で積み上げる。次に収穫箱の焚付けを昨春分と秋分に分けて積み上げ、後段にタガ詰めした焚付けを積み上げる。
そして弐号棚に積み始めていたアカマツを、焚付け棚前段へと移動。これでかなり使い易くなったし、弐号棚が完全に空いたので、再来年の薪が手加減無しで集められる様になった。なにせ、先週集めた分だけでも、全て処理すれば参号を一杯にして余る量だし、連休から先週にかけて見つけた丸太を回収すれば、弐号の半分くらいにはなりそうな見込みなのだ。

薪棚の整理を終えたら、チャリのパンクチェック。先週の修理が不完全だたようで、後輪の空気圧が抜けているっぽい。チューブを取出して水調べをしてみたが異常なしと出た。あやや?勘違いor気のせいだったのか。
まぁ、問題なければそれで良しと、試走へ。前に仮設定してみた周回コースを走って見る。一周が1.7kmでうち2/3が3%程度の登りで1/3が6%の下りと、心肺機能を鍛えるには良さ気なコース。
実走してみての結果は、現状でラップタイムが大凡6分。登り5分で下り1分って感じなので、インターバルになるので中々良い具合。ただ、今の心肺機能ではかなりキツイ負荷がかかる。筋力的には問題無さそうだし、小回りコースの設定もできるので、体調や時間に合わせて選択できるのも良いいな。

天気が下り坂なので、夕飯は小屋の中。食べ終わるまでは心配は無かったけど、片付けで不安があったので。
例年であれば、梅雨入りまではお天気が安定するんだけどねぇ。来週も寒暖差が大きくなる予報なんだよなぁ。


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2010年5月21日 (金)

名鉄三河線 未成線区間(西中金~足助町)後編

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現在位置は城見町と野口町の町境付近。国道に寄り添うかの様に描かれた、細い道が国道に交わる場所だ。

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対岸には橋台が残っているが、此岸は築堤の一部が切り崩されて、土留めのコンクリートブロックに被われるのみ。
国道との比高は、4~5mといったところだろうか。忙しない国道と比べると、なんとものどかな風景に、心がなごむ。


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さて、残されたこの橋台だが、どうやって攻略してくれようか。
WEB上の記録を漁っても、この橋台に登ったという記録は見つからなかった。
攻略ルートを探して、国道上を行きつ戻りつするが、田圃や畑を横断せずには取り付けず、しかも今日は野良仕事に精を出す方々が大杉。


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野口町側へ100mほど、なんとか取り付けそうな場所を見つけた。ここなら畦道でアプローチできるそう。
と、乗り込んでみたら、潅木に隠れていた斜面が、ちょっとした崖斜面だった。高さは3m程なのであがけば何とかなるが、先にも書いたように今日は人目が多すぎる。
ここは諦めて迂回するしかないな。


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500m程を迂回して、新しげな道の終端に到着。
実はこの道路、未成線跡を使って最近になって造成された道なのだ。
鬱蒼とした照陽樹と落葉樹の混交林ゆえ、林床の薮が薄いのは救いだが、こういう雰囲気は大概、泥濘んでいる事が多いんだよなぁ。


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かつては田圃だったと思しき平場を抜けると、落差2m程の段差が現われ、その先は予想通りに「沼地」と化していた。
しかし、くっきりと掘割が存在していた事が読み取れる。ただ、単線にしちゃ幅が広すぎないか?

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意を決して、慎重に泥濘を避けながら進んでいくと、足元に社標の刻印も鮮やかな地境杭があった。
しかし堆積した腐植と、山からの湧水で足元の泥濘が酷い。
長靴ならともかく、スニーカーではこれが限度。身の危険を感じる様な場所ではないが、装備が軽装過ぎた。
今回はここまでとして、撤収する。


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撤収時に少しでも足場の良い所を求めたら、こんな平場に出くわした。
この左手が国道からのアプローチで見つけた、この場所だ。


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廃道から現役道へ復帰。この場所もWEB上の記録によれば、10年ほど前までは薮に埋もれていたらしいのだが、ここから手前側には新しい住宅が立ち並んでおり、おそらく住宅地として分譲された事が切っ掛けで、整備されたのであろう。
ちなみに、休憩がてら写真撮影に邪魔な、軽四輪が去って行くのを待つ間にチャリストが一人、写真奥へと走っていった。おそらく同じ目的だと思われる。


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走り出して直に、路傍に高札が立てられている。内容を読むと戦国時代の話しとして、地豪の娘「しゃくやく姫」が甲斐武田家の三河侵攻の際に、追っ手から逃げ切れぬと井戸に身を投げて果てたそうで、ここがその地であるという。
しかし眉唾臭いなぁ。古来、日本の女性に貞操が求められる様になったのは、明治以後の話しだし、戦国の世といえど、女性は「捕虜」としてある程度優遇されてた訳(男子はどんなに幼くても死罪だが)で、「容姿端麗」とか「家柄が良い」女性は、ぞんざいには扱われなかったものだからだ。


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「しゃくやく姫の塚」を過ぎると、そこは未成線の到達最高度(サミット)となる。
ここを境に、長閑に山間を伸びて来たのが一転して、鉄道としては急勾配で下り始める。
ちょっとこの勾配は、本当に鉄道が開設されていたならば、鉄分が濃い~ぃ連中の「聖地」になったかもだ。
多分30パーミル(3%)は下らないんじゃないか?


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サミットを越えたところで、またまた「取ってつけた」如きな碑が出現。
「野口雨情縁の地」だそうだが、それって誰?
唱歌の「七つの子」作詞者らしいが、だから何?
なんていうか、見ていてこういう「ピントずれ」した”地域興し”てイタイんですけど。
本気で”売る気”があるのなら、近代産業史と絡めてこの「未成線跡」を正面に出した方が良いと思うよ。


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道は勾配を若干、緩めながら左へカーブ。
路肩に建つ「電信柱(架線されているのは電話)」が、架線柱っぽく見える。
正直に言えば、サミットを越えてからはチャリを漕ぐ必要はナッシング。
跨がっていれば自然と進んで行し、写真を撮る為に停まるのが面倒臭い。(笑)


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棚田と段々畑が広がる風景は、郷愁を呼び起こす。
ジブリ作品の風景が色々と言われるが、ちょいと感性のアンテナ・ゲインを上げれば、身近なところにいくらでもある。
もっとも、「ETC車載車のみ、高速料金定額」ってだけで、有名観光地に出かけるしか能が無い連中には、見つからない風景でもある。

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楽しい逢瀬も何時かは終りを告げる。
この先は、世界恐慌による資金繰り悪化や、土地買収交渉の難航などで、遂に鉄路が開かれる事は無かった。
この未成線が計画通りに、足助まで貫いていたらその歴史はどうなっていただろう。
太平洋戦争が始まるまでに開通していれば、昭和50年台までは旅客運送は先細りであっても、貨物輸送でそこそこ稼げていたと思う。
もちろん、トラック輸送にシェアを奪われた結果、最終的には廃線に追い込まれたのは間違い無いのだが。
ただ、未成に終った結果、早い時期に地元自治体に払い下げられたおかげで、近在の重要な道路として利用されているのは、「道」として幸せな事だと感じた。
今日の国道の込み具合からすると、沿線の農作業は終日にわたって「マヒ状態」に成りかねない状態なのだから。
本来の「鉄道」としては、生まれ出る事は出来なかったものの、近在の人々に愛され大切にされているのは、この「道」にとって幸せな事なんだと感じた道であった。


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2010年5月20日 (木)

名鉄三河線 未成線区間(西中金~足助町)中編

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現在位置を地図で確認すると、こんな感じ。国道からは車両が乗り入れできないので、地図では道が無いのだが、歩行者やチャリは問題無く通行出来る。
後に紹介するが、未成線跡は旧足助町道を経て現在は豊田市道に指定され、中金小学校へ通う児童の通学路となっている。おそらく国道からの四輪封鎖は、悪評高い「香嵐渓渋滞」をスルーしようとする車両をカットするものであろう。


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走りだして幾許かも行かないうちに、こんなものを見つけた。
「建設省」の文字もまだまだ鮮やかな、警戒コーン。
恐らく国道の拡幅工事の際に、工事業者が忘れて行ったのだと思うが、そのんま放置って事ですかね。


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市道(旧町道)との交差点。鉄路が敷設されていれば、踏切跡となった筈だが、それは敵わぬ夢。
この写真、現地では気付かなかったのだが、写真を整理していて気付いたのが、左側の”一時停止”標識の根元、赤丸で囲んだ部分。コンクリート製の地境杭がある。


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市道との交差点を渡ると、一気に視界が開けた。
鉄道は勾配とカーブが苦手。なのでこの様に有るか無いかの緩勾配で、真っ直ぐじっくりと高度を稼いで行く。
右手には国道を行き交うクルマが見えているが、上下線とも渋滞する程では無いが、クルマが途切れる事無く走っている。
この、のどかな光景と真逆の光景。

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路肩の側溝(と言うよりは、”水路”かも)にちょっと面白いものを発見。
土留めに竹を編み込んで施工している。欧米のエクステリア・ウォールのデザインに、「ウィーブ・ウォール」というのが有るが、それと施工方法は全く同じ。
これの施工は近在の人々による、「道普請」だよね、きっと。

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西中金小学校裏に到着。勾配は緩くても登りっぱなしは、さすがにキツく息が上がっている。
本来の路盤跡は確認する術も無いが、ここだけ道幅が広くなっている。学校のフェンス際にも地境杭が打ってあるところを見ると、停車場を設ける予定だったのかもしれない。
ただ。現代の営みから見ると、乗降客が見込めたのかは判らない。ただ昭和40年代までは結構な賑わいがあった事は覚えているので、林産物や農産物等の貨物需要は見込めたのかも。


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学校とは反対側の土手の上にあった、地境杭。名古屋鉄道の社標が、刻印されている。
この土手上は畑になっているし、足元を見れば筍を掘った跡があるしで、ビクビクものでの撮影。
もうちょと注意深く見ていれば、そんな苦労も無しに撮影出来てたんだけどね。

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学校から50m程にも、ホレこの通り。
なんか、相当に舞い上がっていたんだなぁ。まぁ走っていて、とても気持ち良い道だったし、嫁の機嫌を気にしなくて良いってのも有っただろうね。


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県道344久木中金線との交点。この県道の開通は10年程前だと思う。少なくとも私がパラグライダーに夢中になっていた頃にはなかったはず。
もっとも「険道」レベルでは存在していたかもしれんけど。

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国道との位置はこんな感じ。此方が急に高度を稼ぎ始めているのが判る。
現在の比高で2m程度であろうか。この先で国道をオーバークロスするはずだったのだ。


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とっとと、これまた剣呑な標識が。(笑)

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でも、まだ道は続いてるし。

種を明かせば「自動車通行不能」というだけで、「道が無い」訳ではない。
県道344号線との交点辺りから、路盤は鉄道らしい築堤で一気に高度を稼ぎ、国道を跨ぐはずだったのだ。


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個人的にかなり気に行っている一枚。
もう「天下の往来」の雰囲気は無くって、農家の庭先入って行く「私道」っぽい。手入れの行き届き具合も、「私道」っぽさを演出している気がするよね。


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遂に道が無くなった。ここが中金町側の終端。
かつては跨線橋が架設されていたのだが、いつしか撤去され国道の拡張で橋台も削り取られてしまった。

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築堤の突端から国道対岸を見ると、橋台が残っている。
そしてその先は薮の中へと消えている。
実はこの道を訊ねるにあたって、WEB上の記録を当たってみたのであるが、意外な事にこの橋台から先をリポートしている記事は存在しなかった。こうして見ても薮の蹂躙を赦しているのが見とれるのであるが、百戦錬磨の「鉄っちゃん」ですら辿りつけないなんて事があるのだろうか?

「後編」ではその辺りもレポートしたいと思う。

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2010年5月18日 (火)

名鉄三河線 未成線区間(西中金~足助町)前編

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その存在に気付いたのは何時からだったろうか?
国道を走る愛車の車窓から眺める”道”は、一見「ふつう~の道」なのに、普通の道に見えない。
どことなく「余所余所しさ」を感じさせながらも、沿道の空気には馴染んでいる。


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どこか「曰く有り気な女性」を想起させるその道は、時代の変遷に翻弄された「鉄の道」だった。

ぶっちゃけ、タイトルで検索すれば「鉄っちゃん」サイトがゴロゴロとヒットしてくる有名物件だった訳で、検索してもらえば早いのだが、ざっと沿革などを記すと大正三年に三河鉄道(株)が刈谷~大浜間を開通して営業運転を始め、その後北へ路線を延長して猿投駅までを開通させたのが大正十三年。そして足助町までの延進を計画するも、昭和四年の世界恐慌の煽りで資金難に陥り鉄路建設は一時中断される。そして日米開戦間近な昭和十六年に三河鉄道は名古屋鉄道(株)に吸収合併され、戦中故に工事も中断してしまった。
戦後になり工事再開を図るものの、急速なモーターリゼーションび発達から鉄道利用者数は減少の一途を辿り、遂に昭和三十三年に足助町までの延伸計画は正式に断念された。
完成していた路盤跡は町道に転換され、沿道の人々からは「でんしゃみち」と親しまれていると言う。
そんな「鉄道として生まれなかった道」とはどんな道だろうか?


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今回の出発点、「西中金駅」跡。
平成十六年四月をもって、猿投~西中金間が廃止されたものの、平成十九年に国の登録有形文化財に三河広瀬駅と共に登録されている。しかしながら特別な保存処置が取られている様には見えない。
もっとも、廃線間近な現役時もこんな雰囲気ではあったのだが。

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駅舎内に入ると、路線沿革を記した額があった。
当初の計画通りに開通していたとしても、廃線の運命は避けられなかっただろうが、その歴史はもう少し異なったものになっていただろう。「昭和四十年代 旅客利用者が激減」とあるが、名古屋市内でも薪炭の需要は結構あったのだから。

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プラットホームより猿投方面を臨む。
赤錆たレールが草の中に取り残されている。鉄系サイトによれば、名古屋鉄道(以後「名鉄」と略す)の廃線区間では、速攻でレールが撤去されるらしいのだが、登録有形文化財に登録された影響か、この廃線区間ではレール残置率が高いそうだ。
ちなみに写真右側にちらりと写っている神社だが、由緒ありそうな社だが、今回は時間の都合で立ち寄る事を断念。

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今回の本命はこちら。
併走する国道153号線の拡幅や歩道整備工事で、本来の路盤は失われているが、計画されていた路線跡は、くっきりと残っている。

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国道と併走すること500m程。ここで大きく左にカーブし山裾へ切り込んで行く。
以前は国道からクルマで乗り入れできたが、現在はガードレールで閉鎖されていて、迂回しないと乗り入れられない。


気負う程の道では無い事は地図でも確認済みだが、初めて走る道はいつでも「冒険」に満ちている。
どんなお宝を見つけ、どんな出会いがあるのか。初夏の日差しの元、いざ扉を開けん。


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2010年5月17日 (月)

平谷村諏訪神社「式年御柱祭」

「御柱祭」といえば諏訪大社の御柱祭が有名であるが、諏訪地方を中心に上伊那・下伊那地方にも、諏訪大社の末社は多く存在し、また諏訪大社とは関係がない鎮守のお社でも、「御柱」の神事が行われている事も多い。
山小屋の近傍である平谷村では、村社が諏訪大社の末社なので、やはり「御柱祭」が執り行われる。前回は
「見てみたい」と思いつつも、日程が平日だったのか単に私が忘れていただけだったのかは定かでは無いが、見逃しているので、今年は何としても見るぞ1と気合いを入れて臨んだのであった。

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10:19時 山から伐採されて搬出された「御柱」
平屋高原スキー場のセンターハウス前で、里曳きの出発をまつばかり。
氏子衆も晴れの舞台とあって、気合い十分。
ちなみにこれは「女木(メギ)」。

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10:24時 里曳きの始まり。
スキー場から国道へ出る。何も知らずに通りがかったドライバーは、予告無しの通行規制に目を白黒。
この後、新町の旧道分岐点までの1km弱、国道上り線を「予告無し」の通行規制で曳いていく。

午前はここまで。本命の「山出し」を見られなかったのは残念。まぁ良い、七年後(後述するが、実際には六年後)にリベンジじゃ。


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午後は本命の「川渡り」を見る為に14:00時に、道の駅にやってきた。ちょうど山小屋のご近所さんが別荘に来たところだったので、「御柱祭」が行われているよとお誘いして一組だけだが(笑)参加者を増やしておいた。
第七休憩所(村役場前)を出発し、諏訪神社へ向かう御柱。
偶々、このタイミングで道の駅に来合わせた観光客も、結構な人数が見物していた。
ちなみにこちらは「男木(オギ)」。本家諏訪大社では宮一つに四本の柱だが、ここ平谷では一対二本となる。

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「女木」には子供が鈴なり。(笑)
しかし、曳行速度が速いな。カメラを向けていると「あっという間」に目の前を通り過ぎて行く。
デヂカメの反応速度だと、3ショットを撮影するのがせいぜいだ。連射モード付の高級機なら話は別だろうけどね。


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曳き始めたと思ったら、直に次の休憩所に。(笑)
里曳き出発地のスキー場からここまでが、おおよそ2kmで五時間かけてやって来た。いいんです、「お祭り」なんだから。ちなみにこの写真には二ヶ所の「休憩所」が写ってる。


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平谷村観光協会・商工会・JA南信州平谷による、菓子まき。
うちの嫁は参戦して、菓子二袋をゲットしたらしい。
しかしこの建物、「この為に作った」んぢゃないかと思わせるなぁ。あまりにも「場の雰囲気」にマッチし過ぎぢゃんねぇ。


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見所の一つ、「川渡り」見物の為に振る舞い酒に目もくれず、ポジションを確保。
対岸にも観客が思い思いに、場を占めている。
実は私がいるこの場所、「女木」が渡るすぐ脇なんだよね。警備のおっちゃんに注意されるかと内心、びくびくものだったけど、全くスルー。(笑)


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さぁ~、「川渡り」開始!先頭曳きの一団が護岸を「転げ落ちて」来る。そりゃそうだ、道中の振る舞いで散々に呑んでるから、脚の踏んばりが全く効いていないもんな。


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川の流れに脚を取られながらも、曳き索が川を渡った。左岸側は護岸堤防で固められているので、曳き索に捕まって川から上がるもの多数。
この「川渡り」だが、原初は純粋に「道中の障害越え」だったと思うが、橋が整備される様になってからは「禊(みそぎ)」の意味合いを持つようになったと伝う。


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そして「御柱」が川を渡った!
橋の上、鈴なりの観客から拍手が沸き起こる。
ところで、黄色の安全ベストを着用したおっちゃん、あんたは「警備」のお役目だったんとちゃうか?任務ほっぽらかして、祭りに参加してど~する。(笑)
まぁ、般ピーでこの位置にいるのは、σ(^^)だけだから警備不要っちゃぁ、いらんわなぁ。


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「川渡り」を終えて、神社の境内へ。ここで「女木」にトラブル発生。
本来のコースを外れて、右寄りに進んでしまった。このままでは建て位置に「御柱」を持って行けないのだが、先頭を行く先曳き手は、”突撃ラッパ”に合わせて突っ込んでいく。


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やっと、本来のコースに復帰。この間、みかねて伝令をして曳索を戻したりと、出しゃばっちまったい。
「氏子じゃないからね」と傍観してたけど、段取りの悪さについついとね。悪いクセだが、なかなか直らん。

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紆余曲折はあったものの、建て位置まで到達。この後もトラブル続出で、見かねてお手伝い。
いあ、楽しいから良いんだけどさぁ、余所者が口出し・手出しするのも気が引けるんよ。
もっとも、だぁれも気にしてなかったけどな。(笑)


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「建御柱(たておんばしら)」の木遣りを奏上するのは、女性だった。
里曳きは日差しの所為もあって汗ばむ陽気だったが、神社の境内は沢風が吹き上げ肌寒さを感じる。
そんな中を凛とした「木遣り」は、耳に残るものだった。

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そしてクライマックス。「男木」と「女木」が立ち上がり、万歳三唱が境内に響き渡る。
狭い境内を埋め尽くす、人人人・・・・
小さな村のお祭りの余韻は、日が暮れても失われる事は無かった。


さて、「御柱祭」が語られる際に「七年ごとに催される」と言われるが、実際には干支でいうと「寅年と申年」の満六年ごとに開催されている。
では何故「七年ごと」なのだろうか。一つの理由に「数え年」だからというものだ。戦前生まれの方に年齢を訊ねると満年齢ではなく「数え年」で答えられる方が、みえるので耳にしたことはあるだろう。また畜産でも家畜の年齢は「数え年」であるが、んな事を知っているのは競馬ファンくらいだろうな。
WEB上で調べてみたのだが、ちょっと明確な理由について記述してある記事を見つけられなかったので、私なりの推理を恥ずかし気も無く披露すれば、もともとは干支の「寅年と申年」に起源があるのではないかと思う。そして我々日本人には、奇数を「縁起もの」と考える文化が有る(偶数でありがたれるのは”八”くらい)から、数え年で「七年ごと」となったのではなかろうか。
と言うことで、次回の開催は2017年ではなく、2016年なのでお間違えなく。でないと見逃しちゃうよん。(笑)

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2010年5月16日 (日)

山小屋通信(5/16)

昨日ほどでは無いが、今朝も良く冷えた。日差しの温もりが有り難いが、日中は暑くなりそうだ。

弐号棚を空ける手順を考えてみたが、上手く考えが纏まらないので、未探索の林道へ出かけてみた。ところが途中でユニック付トラックが作業中で、通り抜けできない。しかしそこは昨秋から目を付けていた伐採現場なので、作業中の方に声を掛けてみたところ、立ち木を購入されたとの事で、地主では無いとの事。なるほど、それで合点がいったぞ。上部の現場の作業は終了したって事だ。
予定の林道へ行くには国道経由で大回りとなるので、ちょっと目先を変えて売木村へ探索に出かけた。障害木の伐採跡を探しながら岩倉貯水池を下って行ったら、伐採跡発見!クルマを停めて見てみると、どうやら電力会社が支障木を切っていったようだ。これ、回収が楽なんで有り難いんだよねぇ。太いものは人独りで持てるサイズにカットされているので、軽トラの荷台に放り込むだけで事足りる。めぼしい太さの物を回収しただけで、荷台がほぼ一杯になったよ。気分良く今度は県道経由でヤハズ峠を回ってみる。三月に見つけた伐採木は未だに放置状態なんだが、道路まで引っ張り上げるに手間が掛り過ぎるよなぁ。できればチェンソーで小切りたいのだが、人家が近いのでそれはちょっと躊躇われるし・・・
そろそろ山小屋へ戻らないといけないなぁなんて考えながら峠へ向けて林道を登っていくと、路傍に気になる伐採跡がある。前に見つけた時は何気に見逃したのだが、切った理由が「林道の脇道への出入りに邪魔だから」の様に見える。そこで徒歩で脇道へ入ってみると、スギの伐採・搬出跡があった。「スギの伐採跡かぁ・・・・」と何気に足元をみると、クリと思しき丸太がごろり。とりあえず簡単に回収できる分だけ纏めて、軽トラに積み込んでから周辺をチェックすると、軽トラ二杯分くらいはあるよ、雑木が。ここならチェンソーを回しても問題ないし、穴場を見っけだ。時計を見ると13:30時近いので、急いで山小屋へ戻り「キッチンストーブ」へ。今日は時間が押しているのでパンの受けとりだけで、挨拶もそこそこに山小屋へとって返す。
妻を降ろしたら私はその足で、午前中に偵察できなかった林道へ。ここでも数本の丸太を回収するのに成功。いやいや今年はツイてるは。昨年より探索範囲を広げた事や、春先の天候不順もあっての事だが、障害木が想像以上に出ているんだね。

という訳で、今週は「御柱祭」と薪集めに終始。そろそろ大工仕事も始めないとではあるけど、梅雨入りまでに出来るだけ薪も集めておきたいなぁ。

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2010年5月15日 (土)

山小屋通信(5/15)

朝、雲一つない青空が広がる。今日は平谷村諏訪神社の「御柱祭」だ。お天気の心配は全くしなくて良くなった。

お祭りを見に行く前にチャリのパンク修理を始めたのだが、二十年振りの事で、意外に手間取ってしまい、山出しの時間を過ぎていた。慌てて会場へ向かうと既に柱は山を下りており、スキー場にて里曳きに出立するのを待つばかりの状態だった。(涙)
「里曳き」の出発を見送り、山小屋へ戻ってパンク修理の続き。どうやらゴム糊の成分が昔と異なり、乾くのが早いようでパッチを宛うタイミングが取り辛い。数回の失敗の後で貼付けに成功し、水調べをしたらもう一ヶ所穴を発見。こっちのパッチ張りは一発で成功で、修理終了。
続いてチェンソーのメンテナンス。先週は使いっぱなしで、収納したので。

チャリとチェンソーのメンテを終えて、天日晒しの薪を棚に積見込んだ。参号棚の空きも1/6、あと一息で満杯まで持って行けそうだ。昨年の春に入手して放置状態のサクラの大玉(元径で40cmはある)を割れば、一杯にできるかな。そうなると弐号に積み始めたアカマツの薪を四号に移さねばならず、そうなると焚付け小枝が今のままじゃ邪魔。そこで焚付け小枝をタガ詰めにする。タガ詰め径を30cmにしたけど、これはちょっと失敗だった。意外とでかくて持ち運びに不便だ。25cm程度でちょうど良かったな。

昼過ぎからは再び、「御柱祭」へ。「建御柱」まで見学、ってか、しっかり参加だった。こちらのレポートは別エントリにてレポートします。


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2010年5月14日 (金)

山小屋通信(5/14)

明日は平谷村の「御柱祭」。
せっかくの機会なので、久し振りに夜駆けで山小屋入り。


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2010年5月13日 (木)

藤岡村道路元標

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国道419号線沿いだが、公民館の庭先みたいな場所。現道には面していないので見つけ辛い。
なにより「何故、ここに?」という場所だから、移設でもされたのであろうか。

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国道の反対側には、廃業したと思われる旅館があった。
小さな交差点(信号有り)を東に進めば秋葉神社があり、西に進めばお寺があるので、戦前はこの辺りが村の中心だったのかも。現在は北へ300m程にある、県道33号線との交差点の方が賑わいは多いのだが。
役場迹や支所が当てにならないという好例かもしれない。


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2010年5月12日 (水)

国道153号線 平谷村旧道と山辺の道(後編)

突き当たりを右に折れて、坂を下り始める。やや右へカーブして小さな切り通しに入ると

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眼前に並んで架かる二本の橋が見えて来た。
一本は目にも鮮やかな青色のトラス橋、そして手前には満身創痍の姿を晒しながらも、近在の交通を支えるコンクリート橋だ。


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まずは手前のコンクロート橋からみてみよう。
橋の名前は現存する親柱によれば、「柳橋」という。橋が跨いでいる川が「柳川(やなぎがわ)」だから妥当ではある。


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この「柳橋」だが、横から見ると此岸側橋台から橋脚までと、彼岸側橋台から橋脚までの径間で構造が異なっている。もともとは橋脚がもう一本あって、三径間だったのではなかろうか。
つまりもともとは三径間の橋が架かっていたが、大雨等の出水によって左岸側の二径間が流出してしまい、復旧に当たっては、流水の抵抗を受ける橋脚を省いて、左岸側は一径間として残った旧橋に繋げたと思われる。
ただ、橋の流失が何時頃に起こったのかは、修復された側に何の銘板も記されていなかったので、知る事は出来ない。


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こちらは現道に架かるトラス橋の銘板。これによるとこちらも「柳橋」だそうな。竣工が1976(昭和51)年なので、旧い柳橋が復旧されたのは、それ以前と考えて良さそうだ。残存する旧橋のデザインからして、この地域に残るコンクリート橋と共通するものがあるので、旧柳橋の竣工年も昭和30年前後とみてよいだろう。となると昭和36年に伊奈地方を襲った”36災害”が旧柳橋流失の原因なのかもしれない。

さて、ここまで辿った「山辺の道」だが、街道の痕跡と考えられる遺構は見つからなかった。ただ道の雰囲気は徒歩交通主体の頃なら、街道であったとしても不思議では無い線形を持っていた。
そこで国道153号線旧道を辿ってみる事にする。


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旧「柳橋」を後に現道との合流点を目指すと、右側の林の中に旧建設省の地境杭を発見。つまり旧「柳橋」はかつての国道であったという事だ。


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現道との合流点を振り返って撮影。案内標識の「うつぼ」だが、これはサカナのウツボでは無く、矢を収めて腰から吊る武具の「靱」の事。先程の旧柳橋を渡り川沿いに進むと「靱」の集落があり、そこには武田信玄が三河国へ侵攻した際の砦迹がある。その時の何らかのエピソードが地名として残ったんじゃないだろうか。
話は逸れるが、写真左側に写る「いろり焼き 大柳」だが、五平餅とアマゴの串焼きで有名。今日も結構な賑わいだった。


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現道端に立派な鳥居。傍らの解説によれば「平松の浅間社」である。
傍らには小さいながらも豊富な水量の滝が流れ、ここで富士浅間の行者が水ごりの修業を積んだそうだ。
本レポートの前編に登場した小さな祠は、本来はここにあった物が正徳五(1715)年の水害で遷座したものだそうだ。


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さて、何時までも道草を食ってはいられない。先を急ごう。
この浅間社前から旧道の路盤が延びている。柳平の集落を通り、現道へ復帰するのは「ほっとパークひらや郷」の手前だ。


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チャリで走り出してさしたる距離を移動する前に、街道由来の遺構が登場。馬頭観音石像群である。
という事はなにか?前編・中編を費やした「山辺の道」は街道由来でもない、単なる生活道路って事か?


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ここで地形図を確認しておこう。現在地は地図中心のやや右上、碑の地図記号がある辺りである。
国道153号線の現道を無視すると、柳側を挟んで右岸側は「山辺の道」で左岸側が街道という事になる。
これを眺めていたら、一つの仮説が浮んで来た。そのヒントは浅間社に掲げてあった、説明文だ。

説明文によれば、浅間社が遷座した理由は「水害」であり、旧柳橋も左岸側に流失の痕跡を留めていた。他にも浅間社脇の推定樹齢600年の大柳も、度重なる水害で倒れてしまったとあった。そして旧柳橋にも水害の痕跡を留めていた事からも、街道の徒渉点は大雨で出水し易い場所である事が推理できる。
それでも徒歩交通が主体の時代であれば、橋が流されても水が引くのを待って徒渉すれば良いが、戦後のモーターリゼィションの世になれば、橋が流されればそれは物流がストップする事になる。そこで旧柳橋が通行不可能になった場合に備えて、柳川右岸に迂回路を用意したのではないか?もう少し考えを進めれば、村内に現存するコンクリート橋の竣工が概ね昭和28~38年で有る事から、旧柳橋の竣工も街道であった事む含めれば昭和28年頃と推測できる。そして迂回路の開鑿が旧柳橋の流失だと考えればその時期は昭和三十年代。となると法面の施工が妙に新しいのも納得出来る。


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柳平の集落を抜けて、現道に復帰。振り返ってみると、旧道の路盤敷は畑の畦となっているのが判る。
平松側は旧道の路盤敷が残されていたというのに。


「街道由来の道」という推理は否定されたが、地元の人も滅多には行き交わぬ道でも、路傍の草が刈り払われ木々の新芽が萌え出す前であったために、思わぬ眺望が得られたのは収穫だった。


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2010年5月11日 (火)

国道153号線 平谷村旧道と山辺の道(中編)

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街道迹の道を辿り、現道へと出て来た。この連休中における、現道の交通量は半端無く多かったが、今日は更に多く、なかなか道路を横断する事が出来なかった。

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平谷村社「諏訪神社」の常夜灯篭。道の左右に一対で設置されている。
右側に立っているのは、道の駅「南信州 平谷」の温水プール。温泉と併設されており、入場料は大人\800子供\500。プール利用者はそのまま温泉も利用出来る。


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諏訪神社入り口の鳥居。建立は正保三年(1646年)と伝う。「御柱祭」で有名な「諏訪大社」の分社であり、やはり七年に一度、「式年御柱祭」が執り行われ今年がそれに当たる。今年は五月十五日(土)と週末にあたるので、見学し易いよね。
詳細は平谷村観光協会のぴ~かん.net」もしくは、まつのやさんのブログ「平谷村御柱祭りの御案内」を参照されたし。飛び入り参加も大歓迎だそうな。
道は橋を渡って右、柳川に沿って東進する。


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諏訪神社から500mほど東進して、振り返って道の駅遠景。
クルマで溢れかえってますな。自民党政権時代に「ETC搭載車に限り高速道路\1000上限」策の所為か、関東・関西方面のクルマが増えている。もっとも今年に限って言えば、カレンダー通りに休んでも五連休なので、帰省した人々が道中で立ち寄った事もあるだろうが。


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前方に橋が見えて来た。これは国道からも見えている橋なのだが、通行可能な橋なのか長らく判らなかったのだが、近づいてみると幅員2m程の人道橋であった。
おそらく対岸の集落に暮らす住人の畑がこちらにあったのだろう。畑仕事に通う為に架けられたと思うが、此岸の袂は夏場は薮となっている模様。今の季節だから容易に接近する事ができたが。


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”道”はこの橋の手前で大きくカーブを描き、段々畑の間を縫うようにして杉林の中に入って行く。
路肩の「曖昧さ」が旧街道っぽい。


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杉林に入って最初のヘアピンカーブを越えたら、真っ赤な鳥居が現われた。
これって、「お稲荷さん」だよな?


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境内に縁起(由来)が掲示されていた。それによればここは「柳稲荷神社」という。
創建は安政四年、という事は江戸時代後期になるのか。ご利益は「養蚕時のねずみ除け」「農作物の害虫防除」だそうだ。


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「柳稲荷神社」脇からの眺め。柳川から地図読みで20m程高度を稼いでいるので、道の駅を見下ろす格好になる。
航空写真を見返すと良く判るが、巨大な道の駅はかつて田圃であった。農地として最適な場所に巨大な道の駅が存在する事が、この村で農地を耕す人が減っている事を物語っている。
逆に言えば、通行に支障を来さない限り、街道は農地に適さない山辺を通しても問題無い訳で、この”道”が旧街道では無いかと考える根拠だ。


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ここまで登って来た道を振り返って。
こうして見てみると、比高20mを稼ぎ出すにしては緩やかな線形だ。チャリで登って来てもさしてしんどく無い事からも、荷馬車なら十分に通行できると思う。


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さほど大きく無い沢を遡って、徒渉点に掛る名も無き橋の袂に、高嶺山登山道の入り口がある。
高嶺山(1599m)の前衛までは林道が整備されており、クルマでも上がれるが、十年ほど前に徒歩登山道が整備された。その入山口がここ。
もう少し奥までクルマで入れるが、路盤は大雨の流水で洗鑿されているので、乗用車では近づかない方が無難だろう。


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ちょっと道幅を計ってみました。(笑)
チャリの全長が概ね1.7m程なので、5ナンバー車なら十分に離合(すれ違い)できる幅が有る事が判る。
”道”の雰囲気は旧街道っぽいのだが、問題はそれらしい遺構が現われないんだよね。山側・谷側共に、土留工はコンクリートブロックか、生コン打ちと昭和に入ってからの施工方法ばかり。石積みは畑の法面にしか見られない。

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小さな尾根を回り込んだら一気に視界が開けて、現道のトラス橋が飛び込んで来た。
「山辺の道」の終焉も近いが、旧街道の証拠は見つかっていない焦りを感じずにはいられない。もしかして見込み違いだったのだろうか。

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2010年5月10日 (月)

国道153号線 平谷村旧道と山辺の道(前編)

連休中の予定を考えていた時に、国土地理院の国土画像情報閲覧システムで平谷村の空撮画像を眺めていた時に、閃くものを感じた。

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左の写真、赤丸で囲んだ交差点が「閃き」の切っ掛けだった。
この写真が撮られたのは昭和51年(1976)。現道の工事が着々と進められつつあるものの、現道はまだ姿を現しておらず、国道153号線は青色の線に沿って路線指定されていた。そして画像中央を縦断するように下から伸びて来て、国道にぶつかるのが三州街道迹だ。
しかしその三州街道だが、国道を突っ切っている様に見えないだろうか?むしろ農地を突っ切っている旧道の線形の方が、不自然に見えるのは気のせいか?
それを確かめるべく、チャリを引っ張り出した。


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連休も終盤というのに、ドライブ客で道の駅「南信州平谷」はごった返しており、クルマを停める事が出来ないので、隣接する総合庁舎へキューシキをデポ。チャリを降ろして出発点に定めた、現道と旧道の分岐点へ移動。
ちなみに写真に写っている「そば処 あみの」だが、蕎麦が美味しいらしいのだが、蕎麦アレルギーの私は開店以来、訪れた事はない。


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分岐から100m程、小さな川を越える辺りから、旧い宿場町の雰囲気が始まる。
橋の袂のサクラは、満開を迎えようとしていた。南信州の山間、標高900mの高地に有る平谷村は、平年ならば今頃からサクラの開花を迎えるが、今年は二週間ほど早いかな。


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橋の名前は「新橋」、昭和38年1月の竣工と私と同い年だ。
失礼ながら、このような山間の地で半世紀前には、コンクリート橋の架橋が進められていた事に驚かされる。主要地方道として物流を担って来た故だろうか。私が暮らす名古屋市では昭和40年代まで、木橋が堂々と存在していたのだが。(苦笑)

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馬頭観音石像群。有形文化財の指定を受けている。
三州街道とそれに接続する飯田街道・遠州街道には、江戸時代に「中馬」と呼ばれる馬を使った、物流請負業が発達し、その「中馬が行き交う街道」を指して「中馬街道」とも呼ばれていた。
そして馬の無事を願う中馬達が、馬と旅路の守り神として馬頭観音を建立したと伝う。
実はこの場所、15年程前まで国道標識(通称”おにぎり”)が立っていたのだが、いつの間にか撤去されてしまった様だ。


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旧平谷村役場迹地。平成12年の秋、活発な秋雨前線によって、中部地方に甚大な洪水被害をもたらした、通称「東海豪雨」はこの南信州にも甚大な被害をもたらした。
フレームアウトしているが、画像左側を流れる入川が溢水し、床上浸水多数の被害をもたらしたという。以後、役場は道の駅「南信州 平谷」の西側に、総合庁舎として移転している。


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全国に「酷道」として名を馳せる、国道418号線との交差点。もっとも、ここ平谷村地内から売木村までは、良く整備された快適な高原道路となっており、平谷峠売木側の勾配以外は、酷道とは思えない。
そして進路は正面に伸びている、幅員3m程の「村道」である。ここから小さな尾根を直登で越えるので、勾配は結構きつい。
チャリ復帰して一ヶ月程、それも週末しか走らない「サンデーチャリスト」が越えられのか、すっげー不安。


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数軒の民家を過ぎると、またもや馬頭観音碑が現われる。前出の馬頭観音碑との位置関係から、宿場の出入り口に設けられたものだろう。
左側に土手の上へ登る石段がある。ちょっと登ってみますか。


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登り切ると小さな祠が建っていた。周囲にはこの祠以外の物は無し。
しかし意外と新しげなので、どこかから移築されたものなのもしれない。
この時点では全く判らなかったのだが、富士浅間社と言うことが、後半で判明する。
が、今の私の最大の関心は、「あの登り坂を、チャリで最発進できるか?という事だ。

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心配した程無く、再発進して坂を登り切ると、巨大なハウスが立ち並ぶ農地へ出た。
素人には何を栽培しているか伺い知る事は出来ないが、換気扇が稼働している事からこのハウスは生きている。
雪害で潰され、無残な残骸を晒しているハウスも少なくないだけに、農の息吹を感じられるハウスの存在に、元気を貰った気がした。


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ふう、やっと問題の交差点まで来たぞ。
道の駅が出来たり、総合庁舎が建ったりで本来の線形は失われているが、高い位置から見ると真っ直ぐに繋がっていたと思わせる線形だよね。

さて、ここまでは「街道由来の道」のお墨付きだったのだが、ここから先は自分の「閃き」の正誤を確かめる道行き。果たしてこれから辿る道は、街道由来か否か?


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2010年5月 9日 (日)

山小屋通信(5/9)

今日も天気良過ぎ。日射バンバンで朝から暑い!じっとしている時は、Tシャツでは肌寒さを覚えるが、首筋に当たる日差しの暑さは、気力を奪い取って行く。

まずは主力チェンソーの入れ換え作業。この一年に渡って主力を勉めて来たハスクバーナ333をモスボール化(動態保存)し、主力はハスクバーナ339xpへ。この後、スチール026の凍結解除の予定だったのだが、気力が湧いて来ないので見送り。九連休の披露が溜まっているのか、身体が動かない。
前に巣箱を作って上げた、お隣さんから「巣箱のリフォーム」依頼があったので、久し振りに日曜大工。
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啄木鳥が拡張した巣穴。右がオリジナルサイズ。
このパネルを交換して、玄関前のサクラに巣箱を掛け直す。
正直、”ここまでやる必要が有るのか”という疑問はあるが、不動産屋のくそ婆ぁと”冷戦状態”にある以上、情報戦に負ける訳にはいかないからねぇ。兵法には「損して”徳”を獲る」とあるが、「得」ではなく「徳」である事が重要。「損得」ではなく「義」で動くと評価が広まれば良い。

巣箱の修理を終えたら、ハスク333のモスボール化作業。分解清掃・目立てを行い、燃料をタンクから抜いてエンジン始動。キャブレター内の燃料も使い切る。この一年、ソーチェンを使い切る為に使い続けて来たが、今後はカービング仕様に改造の予定。薪作りには封印してあったハスク339XPにバトンタッチだ。
そして一年振りにハスク339XPで玉切り。焚き火用のアカマツだが豆腐を切るが如くの切れ味。大鋸屑も大振りのものがザクザクと掃き出される。ハスク333も切れ味が悪かった訳ではないが、やはりチビたカッターでは切削効率が落ちていた事を実感させられる。やはりソーチェンはカッターが新品の1/3くらいになったら、新品に交換した方が良いね。

キッチンストーブへパンを買いに行ったら、時間は15:00時過ぎ。そろそろ撤収準備という訳で、ペール管に火を熾してゴミ燃やしを始める。薪割りで結構な量の木っ端が落ちているのでそれも片付けながら。
長い様で終ればあっという間の九日間。明日からはまた、会社と自宅を往復する日常が始まる。身体のあちこちで筋肉痛が出始めているが、心地好い疲れだ。

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2010年5月 8日 (土)

山小屋通信(5/8)

昨日の雨が嘘の様に晴れ渡る。今夕の食料を仕入れて出発。
途中、ホームセンターにて、妻が園芸資材を調達。

山小屋へは昼過ぎに到着。天日晒しした薪を棚に積み込む。在庫分の原木まで含めて、棚の1/4かぁ。ちょっと切羽詰まってきたかも。この連休でかなり集めたと思ったけど、結果がねぇ。


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夕飯は豚ジンギスと山菜天麩羅
タラノメを一人頭四つを確保。おかげで豚ジンギスはお腹一杯で、食べ切れず。食べ始めた頃はお腹が減ってたんだけどね。


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2010年5月 7日 (金)

山田村道路元標

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山田村道路元標


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「よくもまぁ、残っていたなぁ」という場所。
この交差点は私が高校生の頃から、道路工事が行われており、名鉄犬山線の高架化工事の終了をもって落ちついた。
三十年近い土木工事が繰り返された中で、存在意義を失った元標がよくもまぁ、そこに有り続ける事ができたと感心する。恐らく工事に伴って移設などはされたと思われるが、元標を遺す方針を貫かれた事に敬意を表したい。


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山小屋通信(5/7)

朝方の冷え込みで目を覚ますと、外は予報通りに雨。これまでが過去に無い好天に恵まれた(昨日も当初は雨予報だった)のが、幸運過ぎるってものではあるが、全く作業出来ないというのも辛い話し。

小止みになったところで、コシアブラの状態を確かめに行くと、あと二日程だろうか。日曜日に採り頃となるとお土産に化けちまうじゃないか。(笑)
ぐりっと散策してIW田さんところを覗くと、チェンソーの手入れをしているところだった。挨拶すると「ちょっと、ちょっと」と呼び止められた。何かと思ったら「目立ての具合を見て欲しい」との事。内心”おひおひ、貴方の方が経験有るでしょうが”と思いつつ、確認すると全く刃先が立っていない。それと「新品」というヤスリもなんか感触がおかしい。
そこで私の目立て道具一式を持込んで試してみると、まずはヤスリがちびている事が判明。ご本人の「新品」申請からして怪しいぢゃないか。んで、持込んだバイスで固定して目立てをしたらばっちり刃が着いた。私自身の目立てに関してもまだまだ未熟なものではあるけれど、最も肝要なのは「チェンソーの固定」であり、これ無くして「目立て」を語る事は出来ないと思っている。今回は図らずもチェンソーを固定する重要性を確認する事が出来た。

IW田さんところで、チェンソー談義に花を咲かせた後、昼飯にはまだ早いので薪狩り偵察に出かける。今年は遅雪のせいで雪害木が多く発生しているので、それを探してこれまで踏み込まなかった林道を中心に回ってみるが、残念ながら今回は収穫無し。但し新しい伐採跡は多数確認できたので、一足遅かったという事であろう。田植えが始まろうって頃まで支障木が放置されてる訳無いよな。

昼食を食べ終えてキッチンストーブさんでコーヒーブレイク。旧道について一頻り講釈を垂れる。現代の整備が進んだ道と比べれば狭く曲がりくねった道ではあるけれど、その「道」が成立した時代の交通事情に合った道であるところ辺りをね。
「地形に沿うが故の屈曲」「等高線をなぞる故の冗長」も、馬車や牛車が物流の主体であったが為の合理性を持つ事に気付けば、同じ景色でも見え方が異なってくると思うので。

キッチンストーブさんを後にして、山小屋へ戻り撤収。帰路、IW田さんに教えて貰った力石町のチェンソー屋を探すも、なかなか見つからない。一時間近く探し回って見つけたが、最初に入った道で正解だった。Uターンした交差点を左折すればすぐだったのに。しかし説明には「交差点を左折」なんてのは無かったぞ。
散々迷った末だったので、お店には立ち寄らず。場所は判ったので何時でもいけるからな。


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2010年5月 6日 (木)

山小屋通信(5/6)

今日も晴れ。朝から日差しが暑苦しい。

午前はチェンソーを修理に持って行く。一昨日の作業後、プラグ交換した後から、エンジンが掛らなくなったから、プラグ周りだとは思っていたが、原因はイグニッションモジュールから、プラグコードが抜けただけと単純だった。
イグニッションモジュール側のコネクタを接着剤で固定して復活。
社長の奥さんから、エンジン式薪割り機を薦められた。国産品で8tの破砕力があって20諭吉クンを切っているのでかなり安い。従来だと30諭吉弱だったので、六割くらいの値段だ。魅力的ではあるが現状では、折角の機械力を活かし切れないんだよなぁ。必要な原木を一気に仕入れて薪を作れるなら、機械力を導入した方が良いのだが、一年かけてチマチマと必要量を集めて割ってというサイクルでは、機械よりも人力で割った方が効率が良いから。

帰りに鉄ネタで寄り道。今回は東側だけの取材。チャリを持ってくれば良かったなぁ。西側はクルマをデポしておける場所の関係から、チャリを持込まないとちょっと無理ぽ。元標探しとの合わせ技が必要。
あと旧道ネタのロケハン中に、薪ハケ~ン!おそらく春先の重雪で倒れたものと思われるが、結構な大木なのでチェンソーで小切らないと、人力での移動は絶対に無理。枝部だけでもと思ったが、これも大雑把に処理してあるので、枝同士が絡み合っていて引き出せないので断念。回収計画を練らねば。

山小屋へ戻って修理なったチェンソーで玉切り。始動直後の吹けの悪さはあまり改善していないのにはガッカリ。一旦、吹け上がれば問題無いんだよなぁ。


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2010年5月 5日 (水)

山小屋通信(5/5)

昨夕、一時帰宅して、着替えを補給して山小屋へ。

道中、一時間半ほど「鉄ネタ」でチャリ乗り。往復10km程で「同じ目的」と思しきチャリ乗り四人と遭遇。連休最終日の午後にしては、結構な”人口密度”に思われ。(笑)
でも沿道の景色といい、近在の人々との距離感の程良さといい、チャリで走るには心地好い「道」でした。
その後、旧稲武町内でアーチ橋を撮影。153号線沿い三本を押さえた。あと街中に二本と国道257号線沿いに一本を残している。コンプリートしたら記事にするつもり。街中の二本はチャリを持込まないと、クルマを停められない。

山小屋に着いて荷物を運び込んでいたら、庭にゴミを発見。誰ぞ庭にゴミを投げ込んでいった奴がいる。犯人の目星は付いているのだが、単なるお返しではそいつと同じレベルになる。


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2010年5月 4日 (火)

山小屋通信(5/4)

天気が下り坂である事を示す、高層雲が薄く覆って来た。それでも初夏の力強い日差しで、朝から暑いわ。

朝一番で「福寿の泉」へ水を汲みに行く。帰りに工事現場にて回収できそうな丸太を物色するが、独りでなんとかなりそうな物は無いなぁ。チェンソーで刻めばまだまだ残りは豊富なんだけど。
午前中はポイントBへ行って、丸太を回収してきた。こちらは太いものは少なめだけど、薪割り不要サイズを中心になんとか荷台を一杯にして帰還。実はもう一ヶ所、目をつけている場所があるのだが、こちらはチェンソーを持込んで小切らないと搬出できないのがネック。これを回収できれば、参号がほぼ満杯になる計算なんだけどなぁ。
丸太をストックヤードに降ろしたところでお昼。鍋の残りに「キムチ鍋の元」を投入して片付ける。

午後はチャリタイム。今回は平谷村の中心部が主体なので、キツい登りはないので散歩気分で走れる。国道に対する”裏道”的ルートで、クルマでも何度も通っているけど、チャリの視点で見ると通り慣れた道も、異なった表情を見せてくれる典型的な例になる道だなぁ。脇目もふらずに走れば1時間もかからないが、写真を撮ったり景色を眺めたりと遊んで、予想通りに二時間弱のコース。


Cimg2602

山小屋へ戻ってまたもや薪割り。この四日間で割った薪は、これっくらいです。
これで大体、ネコ車七杯くらいだろうから、薪棚一つの1/4ってところでしょうかね。午前中に集めた分がまだ未処理だけど、それと合わせればなんとか梅雨入り前に参号棚を一杯にできそうな目処がたってきたぞ。

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2010年5月 3日 (月)

山小屋通信(5/3)

今日も晴れ。暑くなりそうな予感。

午前中は薪割り。昨日の玉を片付けないと、次の玉切りが出来ない。
今回は素直な木ばかりなので苦労はないが、数が多いのでなかなか玉の山が減らない。昼まで掛かって全ての玉を割った。以前ならこの程度の薪割りで音を上げる事もなかったが、腰を痛めた一年間で落ちた体力がまだ戻らない。終盤は足元が覚束なくなって、斧のコントロールが定まらないこと。

午後は玉切り。一昨日集めた四本が残っている。こいつら、3m程の長さだし、元径で20cm位あるので、糞重い。一人で動かせるギリギリの重さだ。シュリンゲとトングを使って、ストックヤードから玉きりウマまでえっちらと運ぶ。
ここでちょっとインシデント発生、チェンソーの始動は問題ないのだが、始動後のアイドリングが安定しないのと、吹け上がりが悪い。一旦吹けば問題ないのだがこれは初めての症状。
とりあえず玉切りを優先して仕事を片付けた後に、チェンソーのメンテナンスをする。ここでふと思いついてプラグを交換したところ、今度は始動できなくなっちゃった。替えたプラグに戻してもかからない。まいったなぁ。
ま、封印していたハスク339XPが有るから、作業には支障ないけれど。幸いな事に6日7日に休みをとって有るので、久し振りにチェンソー屋へ顔を出すか、お天気もあまり良くなさそうだし。

今日の夕飯は久し振りに根羽の「福嶋麺食堂」へ、うどんを食べに行く。早めの時間に行ったので店内は我々だけ。親父さんと積もる話しに花が咲く。夕飯を済ませて「ひまわりの湯」へ。フロントでマッサージの空きを確認したら待ち無しとの事で、風呂上がりで予約。薪割りと丸太運びでかなり腰に負担が掛っている気配だったので。
マッサージ後はのんびりと休憩室でテレビを見て、山小屋へ帰還。

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2010年5月 2日 (日)

山小屋通信(5/2)

朝は少し風が強かったが、寒いと言うほどではない。

「福寿の泉」へ水を汲みに行き、帰りに薪用丸太を回収する。太くて重いので、一人での回収には限界あり。
なんとか回収できたのは四本だけ。太割り用が二本に玉切りサイズが二本。所用ついでの片手間でこれだけ回収できれば、「大漁」と言って良い。
午前中は原木集めに徹する事にして、丸太をストックヤードに降ろた後に、装備を整えて出撃。以前に偵察した際に目をつけておいた、林道脇に片付けられた支障木だ。しかし二ヶ所のうちの一ヶ所で"般ピー"が路肩で、お弁当を広げているぅ~。まぁ、二ヶ所めが本命だし帰りに回収すればいいか。
ポイントAでそこそこの量を確保できたのと、ポイントBにはさっきの"般ピー"がまだ居座っていたので、山小屋へと帰還。帰途にもう一本、シラカバを確保したので、今日のところはこれで良いだろう。

午後はチェンソーをぶんまわして玉切り。今日の分を全て処理しようと頑張ったが、クリが多くて切断に時間がかかる。一番細いものでも10cm近い直径だからね。ソーチェンもちびてきているのも原因のひとつだろう。
散らかった丸太の玉を纏めたら、二山できたぞ。これも早いところ割らないとなぁ。

日中は日差しが強くて暑いほどだが、朝夕が上着が無いと肌寒さを覚える。平年ならそろそろ外飯を考える時期だが、今年はまだ暫くはお預けのようだ。

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2010年5月 1日 (土)

山小屋通信(5/1)

今日も出発は昼過ぎ。大型連休の初日という事で、153号線の渋滞を避けて岩村・上矢作を経由していく。

日没まで時間が有るので、天日晒しにしていた薪を参号棚におさめると、棚半分が丁度一杯になった。往路の道中で工事現場で伐採された樹を見つけてあるので、明日にでも回収に行ってみようと思う。軽トラ一杯分くらいは回収したいのだが。
梅雨明けまでに参号の残りを埋めたいなぁ。でないと再来年分の乾燥具合が、怪しくなって来るから。暖房用の薪はせめて二夏を越したいものだ。

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今年も

野鳥の繁殖期がやってきた。巣箱にはヤマガラが、林道を挟んだ向かいの石垣にはコガラの営巣を確認していたが、新たにガーデンシェッドの軒天で、キセキレイの営巣を確認。すでに雛が孵ってたよ。

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ピントが巣の縁にあっちまっているので判り難いが、まだ毛も生えていない雛。
それでも私の気配を親鳥と勘違いして、餌をもらう為に嘴を精一杯に開けて、ぴーぴー鳴いてみせる。
うんうん、早く大きくなれよ。そして今年こそは巣立ちの様子を見せておくれ。


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