« 名鉄三河線 未成線区間(西中金~足助町)中編 | トップページ | 山小屋通信(5/22) »

2010年5月21日 (金)

名鉄三河線 未成線区間(西中金~足助町)後編

Oono1
現在位置は城見町と野口町の町境付近。国道に寄り添うかの様に描かれた、細い道が国道に交わる場所だ。

Cimg2651

対岸には橋台が残っているが、此岸は築堤の一部が切り崩されて、土留めのコンクリートブロックに被われるのみ。
国道との比高は、4~5mといったところだろうか。忙しない国道と比べると、なんとものどかな風景に、心がなごむ。


Cimg2654

さて、残されたこの橋台だが、どうやって攻略してくれようか。
WEB上の記録を漁っても、この橋台に登ったという記録は見つからなかった。
攻略ルートを探して、国道上を行きつ戻りつするが、田圃や畑を横断せずには取り付けず、しかも今日は野良仕事に精を出す方々が大杉。


Cimg2656

野口町側へ100mほど、なんとか取り付けそうな場所を見つけた。ここなら畦道でアプローチできるそう。
と、乗り込んでみたら、潅木に隠れていた斜面が、ちょっとした崖斜面だった。高さは3m程なのであがけば何とかなるが、先にも書いたように今日は人目が多すぎる。
ここは諦めて迂回するしかないな。


Cimg2658

500m程を迂回して、新しげな道の終端に到着。
実はこの道路、未成線跡を使って最近になって造成された道なのだ。
鬱蒼とした照陽樹と落葉樹の混交林ゆえ、林床の薮が薄いのは救いだが、こういう雰囲気は大概、泥濘んでいる事が多いんだよなぁ。


Cimg2661

かつては田圃だったと思しき平場を抜けると、落差2m程の段差が現われ、その先は予想通りに「沼地」と化していた。
しかし、くっきりと掘割が存在していた事が読み取れる。ただ、単線にしちゃ幅が広すぎないか?

Cimg2662

意を決して、慎重に泥濘を避けながら進んでいくと、足元に社標の刻印も鮮やかな地境杭があった。
しかし堆積した腐植と、山からの湧水で足元の泥濘が酷い。
長靴ならともかく、スニーカーではこれが限度。身の危険を感じる様な場所ではないが、装備が軽装過ぎた。
今回はここまでとして、撤収する。


Cimg2667

撤収時に少しでも足場の良い所を求めたら、こんな平場に出くわした。
この左手が国道からのアプローチで見つけた、この場所だ。


Cimg2668

廃道から現役道へ復帰。この場所もWEB上の記録によれば、10年ほど前までは薮に埋もれていたらしいのだが、ここから手前側には新しい住宅が立ち並んでおり、おそらく住宅地として分譲された事が切っ掛けで、整備されたのであろう。
ちなみに、休憩がてら写真撮影に邪魔な、軽四輪が去って行くのを待つ間にチャリストが一人、写真奥へと走っていった。おそらく同じ目的だと思われる。


Cimg2672

走り出して直に、路傍に高札が立てられている。内容を読むと戦国時代の話しとして、地豪の娘「しゃくやく姫」が甲斐武田家の三河侵攻の際に、追っ手から逃げ切れぬと井戸に身を投げて果てたそうで、ここがその地であるという。
しかし眉唾臭いなぁ。古来、日本の女性に貞操が求められる様になったのは、明治以後の話しだし、戦国の世といえど、女性は「捕虜」としてある程度優遇されてた訳(男子はどんなに幼くても死罪だが)で、「容姿端麗」とか「家柄が良い」女性は、ぞんざいには扱われなかったものだからだ。


Cimg2675

「しゃくやく姫の塚」を過ぎると、そこは未成線の到達最高度(サミット)となる。
ここを境に、長閑に山間を伸びて来たのが一転して、鉄道としては急勾配で下り始める。
ちょっとこの勾配は、本当に鉄道が開設されていたならば、鉄分が濃い~ぃ連中の「聖地」になったかもだ。
多分30パーミル(3%)は下らないんじゃないか?


Cimg2676

サミットを越えたところで、またまた「取ってつけた」如きな碑が出現。
「野口雨情縁の地」だそうだが、それって誰?
唱歌の「七つの子」作詞者らしいが、だから何?
なんていうか、見ていてこういう「ピントずれ」した”地域興し”てイタイんですけど。
本気で”売る気”があるのなら、近代産業史と絡めてこの「未成線跡」を正面に出した方が良いと思うよ。


Cimg2682

道は勾配を若干、緩めながら左へカーブ。
路肩に建つ「電信柱(架線されているのは電話)」が、架線柱っぽく見える。
正直に言えば、サミットを越えてからはチャリを漕ぐ必要はナッシング。
跨がっていれば自然と進んで行し、写真を撮る為に停まるのが面倒臭い。(笑)


Cimg2688

棚田と段々畑が広がる風景は、郷愁を呼び起こす。
ジブリ作品の風景が色々と言われるが、ちょいと感性のアンテナ・ゲインを上げれば、身近なところにいくらでもある。
もっとも、「ETC車載車のみ、高速料金定額」ってだけで、有名観光地に出かけるしか能が無い連中には、見つからない風景でもある。

Cimg2694

楽しい逢瀬も何時かは終りを告げる。
この先は、世界恐慌による資金繰り悪化や、土地買収交渉の難航などで、遂に鉄路が開かれる事は無かった。
この未成線が計画通りに、足助まで貫いていたらその歴史はどうなっていただろう。
太平洋戦争が始まるまでに開通していれば、昭和50年台までは旅客運送は先細りであっても、貨物輸送でそこそこ稼げていたと思う。
もちろん、トラック輸送にシェアを奪われた結果、最終的には廃線に追い込まれたのは間違い無いのだが。
ただ、未成に終った結果、早い時期に地元自治体に払い下げられたおかげで、近在の重要な道路として利用されているのは、「道」として幸せな事だと感じた。
今日の国道の込み具合からすると、沿線の農作業は終日にわたって「マヒ状態」に成りかねない状態なのだから。
本来の「鉄道」としては、生まれ出る事は出来なかったものの、近在の人々に愛され大切にされているのは、この「道」にとって幸せな事なんだと感じた道であった。


人気ブログランキングへ

|

« 名鉄三河線 未成線区間(西中金~足助町)中編 | トップページ | 山小屋通信(5/22) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/110783/48421144

この記事へのトラックバック一覧です: 名鉄三河線 未成線区間(西中金~足助町)後編:

« 名鉄三河線 未成線区間(西中金~足助町)中編 | トップページ | 山小屋通信(5/22) »