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2010年6月 4日 (金)

郷に眠る夢の跡 旧国鉄中津川線 伊那中村編

その「」の存在に気付いたのは、まったくの偶然からだった。国道153号線について調べているうちに辿りついた、飯田市教育委員会編纂の社会科向け教材のサイトの記述からだった。
残念ながらコンテンツは削除されてしまったらしいのだが、その文中には「今も中央自動車道と並んで現存している」とあった。その道の名は「国鉄中津川線」、伊那谷と木曾を長大トンネルで結ぶべく、計画された鉄の道となる筈の遺構跡だった。

その日、不調に陥ったチェンソーを修理すべく、飯田に向かっていた私はお腹の調子が思わしくなく、ホームセンターでトイレを借用しようと、国道153号線中村交差点を右折した。中央自動車道を潜る辺りで、「そういえば、中津川線跡はこの辺りだたよな・・・」と、右側へ視線を向けたその時だった。

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なんか、見える!?

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「そこに有る」事は既に知っていたし、国土地理院発行の地形図にも明確に記されていることも、確認済みではあったが、走り過ぎる車窓からでも確認できるとは思ってもみなかった。
今日の予定には入れていなかったが、所用を済ましたら訪れねばなるまい。


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WEB上で公開されている最新版1/25000図である。はっきりと鉄道の築堤とトンネル坑口が描かれている。
「現在位置」から「トンネル坑口」までに横たわる、”ゲジゲジ”が築堤の印だ。つまり上に掲載した全景写真だが、トンネル坑口までが鉄道として建設されながらも、開業することは無かった未成線跡と言うことになる。


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奇麗に草刈りがされた築堤を歩いて来ると、一気に道幅が狭くなっている。中津川線は単線として計画されたので、その途中に上下線の列車が行き違う「交換所」を設ける必要があり、ここに交換所を兼ねた「伊那中村」駅が設置される予定だった。


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「クルマさえ阻止できれば」なバリケードを越えて、坑口前に到達。鉄道単線特有の「馬蹄形”をした断面をもつトンネルが現われた。
この辺りまで近づくと、トンネルで冷やされた空気が天然のクーラーとなり、心地好い冷気を吹き出してくる。この日は本州の各地で「夏日」を記録しており、ここまでの500m程を歩くだけでも、額に大粒の汗が浮ぶほどだった。


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金網の隙間から、トンネル内部をパチリ。
木箱というより、木製アタッシュケースといった趣の箱が、積み上げられている。箱の大きさから見て、図面を保管しているようだ。

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このトンネルの名前は「二ツ山ずい道」。二ツ山(標高727.7m)を貫く、延長1000m強のトンネル。
竣工が昭和44年と言うことは、まだまだモーターリゼーションが未発達な時期であり、「順調に開通していれば」の思いを拭えないが、今に至っては詮無い事だ。


ここで、国鉄中津川線の歴史を簡単に紹介すると、その原計画は1920年(大正9年)んまで遡る。当時、後の国鉄飯田線となる伊那電車軌道は、辰野~高遠原間での営業を行いつつ、飯田までの延進工事に取り掛かっていたが、飯田よりの南進については地形の険しさや、輸送需要の見込みの目処が立たず、計画は未定であった。
結果として免許取得には至らなかったものの、「伊那谷と木曾を鉄道で結ぶ」という構想は、事あるごとに再燃し様々な紆余曲折を経た後に、1961年(昭和36年)に建設予定線となり翌1962年に建設線への昇格が決定される。
しかしながら、飯田と中津川を隔てる恵那山の存在は正真証明の山だけに、容易に鉄道が通る事を許さなかった。様々な調査・検討の結果、全長12.7kmの「神坂トンネル」を掘り抜くルートが1966年(昭和41年)に工事実施計画として認められたのを受け、鉄道建設公団は測量を開始し、買収すべき用地の査定に入る事となる。
しかしながら用地取得に対し、地元からの猛反発が起る。同時期に中央自動車道の用地買収も始まったからだ。山間においては貴重な緩傾斜地は、貴重な耕作地でもある。そこに単線といえども鉄道と、上下合わせて四車線の自動車道を遠そうというのだから、当然のことであろう。
それでも長野県の仲介により難航しつつも土地買収もすすみ、1967年(昭和42年)に二ツ山トンネルの掘削工事が着工された。トンネルと飯田市中村地区の工事は順調に進み、1971年(昭和46年)までには大方の工事は完成する。この完成した区間が、正にこの場所なのだ。
その後、愁眉の的であった神坂トンネルの試掘にも着手されるものの、オイルショックによる不況や国鉄の赤字経営の問題、そして中津川線に先行していた中央自動車道「恵那山トンネル」の開通により、1975年(昭和50年)には中津川~駒ヶ根間が開通し、物流の主役は急速に鉄道から自動車輸送にシフトしていく。そして遂に1980年(昭和55年)に工事はストップし、1981年(昭和56年)に成立した国鉄再建法案により、国鉄は分割民営化され建設途中の資産は清算事業団に移管される事になり、中津川線も開通の夢を絶たれる事になる。

ふぅ~、簡単にしたつもりだけど、それでもこれだけの量になっちまう。他にも様々なエピソードがあるのだが、それらは又の機会に紹介しようと思う。

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坑口から吹き出す涼風で、火照った身体をクールダウンしていると、祠と思しきものが目についた。
斜面をよじ登って確認したら、なにか小動物向けの巣箱であった。サイズ的にはフクロウやコノハズク向けと思われるが、巣穴が開いて無いし用途不明な物件。


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坑口真上から、来たりし道を臨む。
一直線に伸びる築堤の様子が、一望にできるアングルだった。しかし、どこか寒々しい景色でもあった。
同じ「未成線」の運命を辿った名鉄三河線と異なり、”生活の臭い”が無いからだろう。その一つの原因は、足元に存在する隧道(トンネル)が閉鎖されている事にある。尤も単線のトンネル断面では、車両の対面通行は物理的に出来ないのだから仕方が無いのではあるのだが。


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コメント

見えた、、最初の写真でトンネルの坑道が、、
一直線にみえますがな~

投稿: GYO | 2010年6月 5日 (土) 06時56分

あ!これですね!
今度見てみます!!

投稿: さくとも | 2010年6月 6日 (日) 21時56分

GYOさん、こんばんわ

そうなんですよね、ただ、これは季節としては条件が良いという事もあります。
冬枯れの草が刈り払われ、新緑が萌え出した頃なので、見通しが良い訳なんですが、あれから一ヶ月が経過した今では、これだけの視界が確保できるかどうか。

投稿: 飛魔人 | 2010年6月 8日 (火) 00時05分

さくともさん、こんばんわ

お子さんと一緒に、訪れてみて下さい。
そして「もし、この鉄道が開通していたら」を、お子さんと語りあって下さい。その時には、平行する中央自動車道や国道153号線(256号線の方が適切かな)も含めてね。

投稿: 飛魔人 | 2010年6月 8日 (火) 00時24分

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